1323.本音の奥に本音がある

真我日記

「本音」と「建て前」という言葉があります。

大人になって社会人になると、なかなか「本音」がいえなくなる、といいます。

それは「本音」をいったら、組織や社会のなかでは調和がとれないことが多い、と思っているから、いえなくなるのです。

では、私たちの「本音」とはそれほど不調和なものなのでしょうか?

会社で上司に対して、「部長のおっしゃるとおりです。ごもっともです」と差し障りなく合わせておくのが「建て前」で、家で奥さんに「今度の部長は傲慢で、全然オレの意見なんか聞いてくれないよ。本当やってられないよ」とボヤいているのが「本音」だと、私たちは思っています。

では、本当にそれが「本音」なのでしょうか?

確かに会社で上司にゴマをすっているよりは、ずっと「本音」に近いでしょう。

しかし、そこでもっと掘り下げて考えていただきたいのです。

「オレの意見なんか聞いてくれないよ」とボヤいているのは、どういう心からきているのでしょうか?

それは、もっと自分のことを認めてもらいたい、という心が内にあるからではないでしょうか?

不満や怨みや嫉妬があるのは、すべて、認められたい、わかって欲しい、愛して欲しいという気持ちが奥にあるからなのです。

それが認められない、わかってもらえない、愛してもらえないから、その裏返しとして、不満や妬みのような気持ちが出てくるのです。

つまり、私たちの一番の「本音」とは何かというと、それは愛なのです。

すべての気持ちは愛を求めるところからくるのです。

全員それは同じなのです。

そういうとらえ方ができたときに、人の見方も、上司との接し方も、おのずと違ったものになってくるのです。

ですから、本当の「本音」は、全然不調和なものではないのです。

そこがわかれば、自分にも自信が持てますし、人との関係においても、「本音」で接することができ、とても調和することができるのです。

その本当の「本音」を確認するためには、できるだけ深いところを掘り起してくれるような環境、つまりはそういう人間関係をどこかで持っている方がよいのです。