1246.大往生から自分の人生を見る

真我日記

佐藤康行の言葉をお伝えします。

大往生を想定して進めていきたいと思います。

皆さんの寿命は皆さんで決めていただきたい。

そして決めたその寿命を本当に生きるのです。

今、病気があったってそれを飛び越してしまえばいい。

そんなことにこだわっていないで跨いでしまえばいいのです。

人間の心というものは意識するとできあがるのです。

だから忘れてしまうと消えていくのです。

それは良いことにしろ悪いことにしろ同じことが言えるのです。

ですから、悪いことは全く無視して良くなるしかないというように思い、心を磨かなければいけないのです。

今、皆さんはいろいろな悩み事を抱えているかもしれない。

しかしそんなの一跨ぎで跨ぐのです。

無視するのです。

二十年前に皆さんが考えたことは今考えると何のことはない。

その時は大変だと大騒ぎしていたことが今では何でもないことになっているのです。

ということは今ごちゃごちゃと悩んでいることは、人生を満喫した時にはもうなくなってしまっているのです。

どういうことをやるかというと、今日現在を起点として未来(あの世に行くまで)を考え、寿命を自分で決めるのです。

真我というのが先もなければ終わりもないのです。

肉体人生は限られています。

肉体は生があって死があります。

しかし真我は生もなければ死もない。

こういう観点で捉えてほしい。

心というものは四次元のものですから、思えば何とでもなるのです。

心だけでどこにでも行けるのです。

勿論未来にも行けるのです。

そして遠い目標が大事だということを述べましたが、遠い目標を見つけるのです。

未来に自分が行き、そして過去を述べていただきたいのです。

勿論、今は未来から見れば過去です。

大往生する時に愛する人が枕元にいるはずです。

それは自分の伴侶かもしれないし、子どもかもしれません。

孫かもしれません。

友人かもしれません。

誰かはわかりませんがとにかく「おじいちゃん、おばあちゃんは」と枕元で呼んでいるのです。

しかし、その声は悲しい声ではなく、感謝の声なのです。

「おじいちゃん、おばあちゃんのおかげでこんなに立派になりました。

ありがとうございました」という感謝の声なのです。

自分の皆のおかげで幸せな人生だったと心から感謝しているのです。