1151.良い所取りに魂の成長はない

真我日記

佐藤康行の言葉をお伝えします。

『喜びのモチベーション』について話しておきます。

『喜び』といっても

単に「嬉しいこと」をやるのと

同一に見てはいけません。

自分の都合の良いことだけを選んで

『喜んでいる』のは、

良い所取り、

つまり、

ご都合主義にしか過ぎません。

例えば、

世間には

好き嫌いの激しい人がいます。

そんな人に対して私は、

「嫌いな事を

選んでやれるようになれば

あなたは偉くなるよ」と

けしかけるようにしています。

この

「嫌い」ということは

過去の体験に縛られています。

つまり

心が自由でなく、

わがままな自分にしか過ぎません。

柔軟じゃない。

そういう人が

嫌いなものを

一個一個克服することができれば、

モチベーションを

変えることができ、

安楽の道を歩いて行けます。

反対に

好きな事だけをやっている、

言い換えれば

良い所取りだけをしていれば

大変な苦しい道を

歩くことになります。

嫌いなもの、

苦しい時点を

克服することに喜びをもつと、

そのことによって

魂は磨かれるんです。

包丁は

砥石との摩擦で磨き上げられます。

それと同じで

この魂というのは

摩擦によってしか

磨かれることがありません。

その摩擦を克服し、

磨き上げる作業の裏側には、

それまでになかった

新しい力が兼ね備わってきます。

ひとつ克服すれば

一つの新しい力が、

そして二つ克服すれば

二つの新しい力が備わってきます。

苦しまなければ

力はつきません。

そして、

苦しいという方を見るのでなくて、

力のついているほうを見ると、

そこには喜びが沸きます。

だから

苦しみの裏にこそ

力がつくともいえるのです。

つまり

喜びと苦しみは

同時にやってくるのです。

腕立て伏せだって、

「苦しい」と言う時に、

もう一回やれば一回分の、

二回やれば二回分の力がつきます。

そこに

力がつく喜びがあります。

しかし、

無理やりに喜んでも

仕方がありません。

無理やりに

思うとする事ではないのです。

それは

自分にウソをつくことになります。

しかし、

克服することが喜びを生む、

という事実を知れば

誰でも心から喜べます。

つまり

深いところで喜びの存在を知れば

自然と本当に喜べます。

事実・真実を知ったら

喜べるのです。

考えが浅いから

喜べないだけなのです。

事実は深さなのです。

例えば今、

仕事を普段の三倍仕上げようと

考えたとします。

それで喜べるかどうか?

ある人は

頭を抱えてしまうだろうし、

ある人は

逃げ出そうとします。

ところが、

「これをやり遂げ、

克服したら、

自分の実力が更に発揮でき、

将来すばらしい人間になる」

ということを知ったら

必死になってやるでしょう。

そして

その中で喜びを見いだすことが

できるのです。

問題は

モチベーションの

持って行き方なのです。

深さを知るスイッチを

入れるのです。

苦しいことを

やらされていると思って

嫌々やっているのは、

考えが非常に浅いのです。

世間ではよく、

親に叱られた、

上司に叱られた

と言って腹立てたり、

文句を言っています。

しかし今、

叱られても将来必ず役に立つ、

ということを知れば、

叱ってくれていることを、

ありがたいって

喜べるのです。

叱られて

文句を言っているというのは

考えが浅いのです。

浅い考えを

捨てることです。