佐藤康行の質疑応答をお伝えします。
【質疑応答】
Q
真我は永遠、無限の愛で、そして、自己成長するために、常に真我を追求し続けるために悩みや苦を与えられるんだというところで、さらにあなたが深くなるために、それは永遠に与え続けられるプロセスなんだというところにいて、そこから安心して日々をそういうふうにいてねという理解で聞いて、伝えてしまうんでしまうんですけど。それでいいんでしょうか?
A
いいんですけど、ちょっとそこは微妙なんですね。
ちょっと教えっぽくなっちゃうところがあるから。
そうしたら、相手が抵抗を感じる場合があると思います。
Q
どんなふうに、今思うような理解を、真我で同じところに立って、相手に気づかせてあげられるんでしょうか?
A
そのために実習があります。
それを私が口でポッと言うのは簡単だけど、そうすると、観念的になって、固定しちゃうわけです。
そうすると、相手の心を打たないんです。
例えば、さっき読んだような文字をそのままポンと言ったら、「人間は愛の塊ですよ」と言ったら、もしそればっかり言ってたら、「分かってくれてないんじゃないかな」と思われる可能性があります。
一つの塊だから。
それよりも、思いっきり一緒に悪口言い合ったほうが、ずっと私分かってくれる人だったり。
「そうよね。私、分かるわ。悔しいね。ほんと、ぶんなぐってあげたいわね」と言ってあげたほうが、全然相手の心が「ああ、分かってくれた」と思う可能性がある。
そこできれいごとを言っちゃうと、「何も分かってくれてないんじゃないかな」という、なんか冷やかなものが残ると思う。
だから、体で訓練しかないんです。
体で、感触でつかんでいくしかないの。
それが愛のあるカウンセラーじゃないですか?
決められた言葉をポンと言うんじゃなくて、今のその人の状況で一番的確な言葉を言ってあげることが大事なんです。
でも、今日はあくまでもこういう三つに分けていくことをやっていって、そのうち分かってきますから。
本物が来たら分かってきます。
「こんな言葉言っても通じないな」とかね。
それは実践の中でつかんでいくしかないです。
私は皆さんに、私自身もいつも心掛けてね。
ほっとくと教祖みたくなっちゃう可能性があるわけ。
私は教祖なんかちっとも偉いと思ってないから。
みんな真我であり、同じなんだから。
そこのところをぜひ気をつけてもらいたいんですね。
これをやってると、まずそのドツボにはまる方が多いですから。
見事にそのドツボにはまる場合が多いですから、そこは絶対気をつけてください。
みんなは真我で、みんな一つなんです。
ほんとに悟ったら、みんな上下がないわけです。
私と皆さんは同じであるし、全ての命は一つですから。
その絶対大前提の部分から捉えるんです。
それには愛があれば、むしろ一番分かりやすい、相手に通じる言葉を使う方がいいんです、状況に応じて。
「ほんとに憎たらしいわね。悔しい。本と私もそう思うわ」と言ってあげるんです。
でも、それを言うのが一番の目的じゃないですから。
まず、それで「ああ、私の言わんとしてることをこの人は分かってくれたわ」と。
でも、そこで終わらせないことです。そっから始まるわけ。でも、目的は常に真我ですから、最終的には真我までもっていくのが目的であって、その途中経過はいいわけです。
これは、ごまかしでも何でもないんです。
これが言えることが愛なわけです。