2615.真我の鏡返しのカウンセリングの急所

真我日記

写真は焼鳥丼です。タレも鶏肉も美味しかったです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。

 

研修生:

現実に戻った時に、愛が大前提だということを全く理解してない方に

「ご主人のことを愛してるんですね」と言うと、逆切れされそうといいますか。

今も、「こうなんじゃないですか?」と言ったら、

「できてねえんだよ」みたいなことを言われちゃって駄目だと思っちゃったんですけど。

 

 

佐藤先生:

大変いい質問です。

だから、尋ねるようにして言うんです。

「もしかしたら奥さん、ご主人はあなたをものすごく愛してるかもしれませんね」

「なんかそんなふうに今感じました」とかね。

「なんで?」とみんな、びっくりするでしょう?

そしたら、たぶん真我を開発した皆さんなら、答えが絶対出ますから。

自分の真我を信じてください。

「だって、それだけ真剣になって言うんですから。

あなたのことを愛してるから、それだけ真剣に言ってるとしか思えません」

というふうに言えるでしょう?

大丈夫です。百発百中です。

 

ただ、言い方の問題だけです。

今のように、結論から先に言っちゃうと、今みたいに反対になっちゃう可能性があります。

「聞いてないんじゃないか、人の話を」と思ったりする。

それは十分あります。

その時には、「今、こういうことをおっしゃいましたよね。

でも、聞いてるうちに、なんか私には違うように聞こえてきたんですけど、

どうでしょうか?」とやるんです。

言い方は無限にありますから。

ぜひ、言い方を訓練してください。

 

相手の言葉をして相手の心に返してあげたら、絶対変に取られないです。

「今こういうことをおっしゃったんじゃないでしょうか」と聞くようにしてやる。

「今、私はこういうように感じたんですけど、どうでしょうか」とかね。

このような言い方をすると抵抗がないと思いますよ。

 

抵抗がある時は、決めつけられたり、「こうだ」と言われたり、

上からかぶせるように言うのは絶対禁物です。

相手の上に何かをかぶせるように言うんじゃないんです。

相手の思ってることをそのまま返してあげる。

これはどんな人にも百発百中です。

 

だって、自分の言ってることを分かってくれてるんだから、その人は手も足も出ないですよ。

これは人を育てる場合にも、仕事にも全部ね。

私がやってるサンタの営業にもこれでやれば、パチパチ決まってきます。

みんな自分の言ってること、自分の思ってることが一番大事なんですよ。

その大事なことをもっと大事にしてあげるんです。

 

できたら、相手の思ってること、出したものを、

そこにちゃんときれいな包装用紙に包んで、

きれいなリボンを付けてお返ししてあげるんです。

自分のものを自分に返してくれるわけ。

 

それはどういうことかというと、相手がこういうことを言ったら、

「素晴らしいですね」と言うわけ。

「そこまで真剣にやられてるってのは」というふうに言って。

パッと言葉が出なかったら、「なんか、そんな気になったんです」でもいいわけ。

「なんかすごく仲いいように感じたんですけど」でもいいわけ。

「なんか、そんな気になってきたんです」と。

きっとあなたはものすごく興味持たれると思いますよ、その人に。

「えー? 何を感じたんだろう」と。

 

 

 

佐藤先生:

相手の言ってることがよく分からなくても、「はあ」とかってやればいい。

こっちから聞いてつまらないことでも、本人は大事なことなんです。

こんな小さなことでも、このように大きく受け取るんです。

相手の大事なアドバイスを。

「いやあ。勇気づいた、元気づいたわ」と喜ぶんです。

 

皆さん、自分が喜ぶのと、喜ばれるのと、どっちが嬉しいですか?

男女でもね、相手のエクスタシーがいいか、自分のエクスタシーがいいかを聞いたら、

だいたい相手がいいと言う人が多いです。

人間にはそのように、人に喜んでもらえる喜びという本能があるんです。

そこをやる。

真我のカウンセリングはまさにそれをやることです。

人を救ってるようで、実は自分が救われるんです。

 

 

 

佐藤先生:

私がやってるのは絶対、本物で本番しかやりたくないんです、本当は。

架空の話なんかしたくないんです。

本当に目の前に、今にも死にそうな人が来ると、俄然張り切るんです、私は。

本番でなきゃ。

架空の話なんかしたって意味ないです。

先ほどの「離婚を迫ってきた」というのは本物の話だから、

本当にそれが先ほどの効果があるかどうか、すぐ出るわけ。

「おまえのこと、嫌いだ」「いや、私はあなたのことが大好きだ」

「嫌いだ」「好きだ」って、そこで押し通していくんです。

そうしたら、絶対「好き」が勝ちますから。

 

だから、相手に振り回されない。

その奥の真我だけを見ていくんです。

相手は真我であり、愛の塊だから、それ以外のことを見ない。

その途中を見ない。

「何を言った、かにを言った」、そんなもの見ないんです。

真我しか見ない。

真我だけでいくんです。

相手は「真我」と言っても、もちろん分からないから、

例えば、真我を別な言葉で表す。

「愛されてるんですね」「愛してるんですね」とかね。

例えば、亡くなった方だったら、

「今でも見守ってくれてるんですね」とかって言うわけです。

 

真我は宇宙だから、永遠の命だから、死なない命だから、

亡くなった方にも言えるわけです。