写真はつつじです。綺麗に色づいています。
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佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。
【質疑応答1】
研修生:
知る、信じる、見えるという段階のところで、肉眼、心眼といわれます。
聞くことが大切だということなんですけども、
聞くことにもレベルとか段階があるのでしょうか?
佐藤先生:
実は、聞くのも見ることなんです。
見るってのは決して目の話じゃないんです。
話を聞くことによって、その人の心が見えてくるじゃないですか。
目と耳も同じなんです、これ。
ただ、こういう見方をしてるだけで。
だって、動物で耳だけ動いてる動物、鼻だけで動いてる動物がいるでしょう?
臭いだけで。
だから、鼻も鼻の臭いも、耳も目も同じなんです。
心の何か結晶体が目のような形になって、心の結晶体が耳になって、心のあれが鼻になって。
だから、動物によって何かを察知するセンサーが全部違うのはそういうことなの。
もとは同じなわけです。
もとは同じということなんです。
だから、耳も同じ。
言葉と心と真我ってあるでしょう?
あれは聞き方が違いますよと。
相手の言葉をそのまんま聞くのと、相手の心を聞くのと、相手の真我の愛の叫びを言ってる。
「私はこんな悔しい思いで、こんなにきついんだ。こんなに恨んでるんだ」というのは、
愛の叫びなんだね。
その恨んでる姿が愛の言葉に聞こえてしょうがないんですよ、私の場合。
そういう耳になればいいわけ。
悪口言ってるんだけど、「私を愛して」という言葉にしか聞こえないようになる。
そういうふうになればいいわけです。
それを心耳(しんじ)って言うんです。
心眼、心の眼。心耳、心の耳で聞く。
そういうことです。