2593.聞くのも見ること?!

真我日記

写真はつつじです。綺麗に色づいています。

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佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。

【質疑応答1】

 

研修生:

知る、信じる、見えるという段階のところで、肉眼、心眼といわれます。

聞くことが大切だということなんですけども、

聞くことにもレベルとか段階があるのでしょうか?

 

 

佐藤先生:

実は、聞くのも見ることなんです。

 

見るってのは決して目の話じゃないんです。

 

話を聞くことによって、その人の心が見えてくるじゃないですか。

 

目と耳も同じなんです、これ。

 

ただ、こういう見方をしてるだけで。

 

だって、動物で耳だけ動いてる動物、鼻だけで動いてる動物がいるでしょう?

 

臭いだけで。

 

だから、鼻も鼻の臭いも、耳も目も同じなんです。

 

心の何か結晶体が目のような形になって、心の結晶体が耳になって、心のあれが鼻になって。

 

 

だから、動物によって何かを察知するセンサーが全部違うのはそういうことなの。

 

もとは同じなわけです。

 

もとは同じということなんです。

 

だから、耳も同じ。

 

言葉と心と真我ってあるでしょう?

 

あれは聞き方が違いますよと。

 

相手の言葉をそのまんま聞くのと、相手の心を聞くのと、相手の真我の愛の叫びを言ってる。

 

「私はこんな悔しい思いで、こんなにきついんだ。こんなに恨んでるんだ」というのは、

愛の叫びなんだね。

 

その恨んでる姿が愛の言葉に聞こえてしょうがないんですよ、私の場合。

 

そういう耳になればいいわけ。

 

悪口言ってるんだけど、「私を愛して」という言葉にしか聞こえないようになる。

 

そういうふうになればいいわけです。

 

それを心耳(しんじ)って言うんです。

 

心眼、心の眼。心耳、心の耳で聞く。

 

そういうことです。