写真は焼鳥丼です。タレも鶏肉も美味でした。
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佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。
佐藤先生:
例えば、その場で、自殺した娘さんがいる人の話が出た。
そのあと娘が結婚して幸せになった人がいた。
その話が出て、すごく嬉しそうにしてる。
そうしたら、どうするんですか?
隣の人は娘がんがいい縁談が決まって大変幸せそうな人が隣にいて、こっちは娘が自殺をした。どうでしょう?
「自殺をした人の気持ちになれ」と言われたら。
どうでしょうかね。
ご自分ならどうでしょう。
もし、ご自分の子供が幸せになって嬉しくてしょうがない時に、隣に自殺をした娘がいる話をして、「その人の身になってみろ」と言ったらどうでしょうか。
どうですか?
どなたか。
一緒に考えましょう。
これも、ものすごく大事なとこです。
こういうことはあり得ることです。
そこで人間に嫉妬心だとか、いろんなものが出てくるわけです。
一緒に考えましょう。
研修生:
娘が結婚するということで話してしまって。
「言ってはいけないことだった。すごく傷つけちゃったんだ」と罪悪感を持ったり。
「一緒に喜んでくれないのかな」と。
「自分が無神経かしら」と。
佐藤先生:
「なんで一緒に喜んでくれないんだろう」。
こっちは「なんで一緒に悲しんでくれないんだろう」ってのはあり得ますよね。
どうでしょうか。
でも、現実はそれに近いようなことはあり得ますよね。
こっち来てニコッとやって、こっち来て悲しそうにして。
要するに、その時には、今度は自分の問題になってくるわけ。
どちらかをやって一緒に共有しようといった時に、本当は違う心を持ってきた人はとても共有できないということで、話ができなくなっちゃう可能性話がある。
だから、みんなと話ができなくなって当然のことだと思いますよ。
「私は自殺した人の気持ちになれないから、とても話できません」となっちゃう。
その時こそ、よーく知っておいてくださいね。
絶対人間知では解決できないこと。
真我では解決できるわけ。
例えば、実際に「息子が自殺した」と私に電話がかかってきたことがある。
私は一言、「魂は永遠ですから」と答えてあげたんです。
その瞬間に彼女は、「本当にそれで救われた」といまだに言ってくれます。
最悪の時に、「魂は死なないですよ。魂は永遠ですから大丈夫ですよ」と言ってあげた。
普通のどんなに慰めの言葉を言っても、現世の言葉じゃ解決できないことがあるんです。
悲しいこと、辛いこと、嬉しいこと。
でも、真我は永遠である。
だから、どんなに嬉しいことよりも、どんなに楽しいことよりも、もっともっとレベルの違う喜びであり、楽しみであり。
そして、どんなに悲しいこ、どんなに苦しいことでも、全然苦しくない自分がいるわけです。
そして、死なない自分なんです。
魂は永遠ですから死なないし、病気もしないし、それから、永遠の命ですから。
そして、別れも出会いも無い。
みんな一つの世界ですから。
その時こそ、真我の部分で話をしていったら、両極の人がいても、話が全部まとまります。
しかし、「いいこと」と「悪いこと」として話したら、常に人間は争いが起きます。
常にねたみ、嫉妬、恨み、憎しみ、そういうものが出てきます。
自分の子供が不幸になって、相手が幸せになってたら、とても一緒になって祝福はできない。
というのは、人間の肉体を持った当たり前のことです。
普通のことです。
全然変なことじゃありません。
だから、真我を追求なんです。
真我を追求していったら、最も素晴らしい究極のことですから、どんなに相手が幸せな人がいても、どんな何があってもねたみや嫉妬心が出なくなってきます。
そういうのが出てきたら悪いかというと、悪くもないんです。
「ああ、まだまだ自分には、こういう心があるんだな」ということで、真我をさらに追求すればいい。
まず未熟さを知ることだから。
未熟さを知ることは決して悪いことじゃないでしょう?
それは謙虚さですから。
そのように受け止める。
今度そういう場面があったら、その人の身になるとかじゃなくて、その時こそ、真我の話が必要なわけです。
真我とは何なのか?
永遠の命ですから。
「娘さんはきっと天国から見守ってくれてると思いますよ」とやればいいし。
「今でも、みんなのことを守ってくれてる。死んではいない。生きてるんですよ」とやった時に、こちらに幸せな人がいても。
あまりねたみが出てこなくなってきます。
そのことを本当に本人が分かれば。
続きはまた明日。
お楽しみに。