2000.過去は自由に変えられる10

真我日記

 

写真は鶏肉と椎茸の含め煮です。椎茸が良い味が出て温まりました。

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佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。

「過去は自由に変えられる」

 

この「過去」とは、起きた出来事に対する印象、認識、感情などを固定化してフィルムに焼き付けられた記憶のことです。

 

そして、その撮影されたフィルムを書き換えると、過去が変わることになります。

 

その過去の印象をどのように変えることができるのでしょうか?

 

書き換える方法論において、満月と三日月で説明される佐藤先生の例え話があります。

 

今日は、佐藤先生の別角度からの講話をもとに、「書き換える」仕組みを見ていきます。

 

【講話】

 

「愛の不足か、愛に満たされているか」という受け止め方でもいいです。

 

集合的無意識を「愛に満たされている世界」と受け止めて結構です。

 

心の闇というのは、愛の不足を感じていることが、恨みなり憎しみなり、ねたみなり嫉妬なり、そういうネガティブ的な心になっていくという変形だと思ったらいいです。

 

しかし、集合的無意識は全部もうすでに満たされている。

 

だから、集合的無意識の所は、「愛そのもの」

 

愛、永遠、無限、感謝、喜び。

 

私たちが思うポジティブ的なこと全部でいいです。

 

明るさ、前向きさ、元気さ、積極さ、希望とかね。そういう全てポジティブ的なことで結構です、私たちのこと。

 

闇というのは、それ以外のことが全部闇だと思ってください。

 

全てのポジティブ的なこと以外は、全部闇と捉えてください。

 

相手の言っていることを全部集合的無意識、ポジティブ的なことに翻訳するんです。

 

あなたは全部その人が「愛を表現しているんだ、言っているんだ」としかいずれ聞こえなくなったらベリーグッドなんです。

 

そのように返していったら、だんだん、だんだん相手は元気になってきます。

 

ここまで======

 

 

ここに、満月と三日月の具体的な方法が述べられています。

 

まず、過去の印象や感情、そもそもそのように認識してしまう元は、「愛の不足感」に起因するということです。

 

もともと人は、全ての人を愛しているために、「もっと愛したいし、愛されたい、もっと分かりたいし、分かってもらいたい、もっと認めたいし、認めてもらいたい」という思いがある。

 

しかしながら、自分の身の起きる出来事や出会う人との関係で、「愛されていない、分かってもらえない、認めてもらえない」というように認識してしまうと、マイナスの感情をインプットしてしまうことになってしまうのです。

 

「満たされていない」という愛の不足感が深層に根付いて、あらゆる判断の元を形成していくことになるのです。

 

これがフィルムに焼きつかれた過去の印象、感情になっているというわけです。

 

その最も影響を与える撮影現場が、「両親との関係」なのです。

 

それがどのように影響するのか、続きはまた明日です。