2570.理屈か心か?

真我日記

写真は鉄板牛焼肉定食です。お肉も上にのせるタレも美味しかったです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。

【講話1】

ここでは、「分かった」というのは何を分かったというかというと、

相手が救われたなら分かってきたってことなんです。

 

目的は自分が理解することじゃないんです。

 

相手ですよ。

 

あなたが聞き役になって、相手の方が救われてきたら、そのことが成功なわけです。

 

だから、自分では成功したような気分にならなくても、相手が救われてたらいいわけです。

 

目的が全然違うわけです。

 

あなたが納得することじゃないわけ。

 

分かることじゃないわけです。

 

 

 

【講話2】

 

頭で考えてたら違うんです。

 

要するに、「何とかこの人のお役に立ちたい」という心が大事なんであって、

あなたが何か頭で分かることじゃないわけです。

 

そんな訓練じゃないわけです。

 

ここで立って何も言えなくてもいいんです。

 

その心があればいいわけです。いいですか?

 

何も言えなくてもいいんです。

 

「何とかこの方のお役に立ちたい」という気持ちでいいんです。

 

そっちでですよ。

 

 

【講話3】

 

皆さん、いいですか?

 

どうも皆さん、勘違いしてるみたい。

 

勘違いというのは、理屈で分かることだと思ってるんです。

 

理屈なんか分からなくていい。

 

しゃべれなくていいんです。

 

ただ、今目の前にいる人のお役に立ちたい。

 

何か自分の力になりたい。

 

でも、私の力じゃ無理だと。

 

それが大事なんですよ。

 

私の力じゃ無理だから、余計なことを言わないんです。

 

それが心じゃないですか? 皆さん。

 

理屈で解決できるなら、とっくに解決してますよ、その人の問題は。

 

理屈なんかじゃ解決できないんです、絶対に。

 

だから、理屈なんかいくら考えても駄目なんです。

 

問題は姿勢なんです、人間的姿勢。

 

「ああ。この方のお役に立とう、立ちたい」という心が大事なわけです。

 

そうしたら、人間ってのは不思議なんです。

 

人間の持ってる今までのものを超した、まさに何か天からの力みたいなのが出てくるわけです。

 

それを絶対信じる。

 

そのうち、どんな人が来ても、お役に立てるような気になりますよ。

 

私の所にいろんな人が来ても、怖いなんて思ったことは一回もないですから。

 

問題が苦しい人であればあるほど私は嬉しいんです。

 

「ああ、お役に立てる」って。

 

苦しくもない人にお役に立てることもないなら、私じゃなくてもいいってことになりますよね。

 

だから、そこなんですよ、皆さん。

 

それが心なんですよ。

 

理屈じゃないんですよ。

 

まだ理屈で分かろう、分かろうとしてるんです。

 

気持ちなんです、心。

 

今ここで転んで大変だとなったら、とっさにそういう動きができるように。

 

今全然違うあれでも、とっさにそういう動きが出るわけ。

 

その状況が全部違うわけ。

 

心があれば、あらゆる状況にとっさに一番いい方法が出るわけです、愛があれば。

 

こんな型にはまって、「こうすれば救われる」なんてことは、まず確率はないでしょうね。

 

その通りなんかないですから。

 

あなたにその心があれば、一番いい状況が無意識に出てくるんです。

 

それには「相手の心を分かってあげよう」という心なんです。

 

それはまず間違いないですから。

 

相手が言ってることを、「こういうことなんですね?」という気持ちは、

 

相手が言ってることだから間違いないわけです。

 

外れがないわけです。

 

それをやってるんですよ、皆さん。

 

 

 

 

理屈でなく、心の重要性ということですね。