1091.奇跡の対話 前編

真我日記

佐藤康行の言葉をお伝えします。

講話 ====  前編  ===

【講話】

6月上旬のことでした。

私はある方の紹介で、地方都市でサービス業を営んでいるAさんと会うことになりました。

私たちは、Aさんの経営するレストランで、紹介者の方たちや、Aさんの仲間などを含め、ちょうど十人程度が集まりました。

Aさんは八十歳を超えていましたが、見た目は年齢より遥かに若く、凛として、品のある物腰は、まさに老紳士といった雰囲気でした。

実際に聞くところによると、Aさんは地元の名家の生まれで、家業を継ぐ他にも、地元の地域に貢献する文化事業やボランティアにも積極的に携わり、行動力がある上に、思いやりがあり、実直な人柄で、多くの人から大変尊敬されていました。

そのAさんが、15年ほど前に、原因不明で視力が急激に落ち、視界の真中が見えなくなり始め、9年くらい前には、遂に全盲になってしまったのでした。

しかし、Aさんはやがて、その目が見えなくなったことを精神的に完全に克服するようになりました。

Aさんは私たちにとつとつと話してくれました。

「逆に目が見えなくなったことによって、人の心がよくわかるようになりました。目が見えなかったときに見えなかったものが、よく見えるようになったのです。心の目が開いたんです」

Aさんは、目の見える人と話しをしても、目の見えない自分の方が遥かに幸せだということを確信し、そして、人々に本当の幸せについて説いていったのでした。

そんなAさんの話しを聞いて、ハンディキャップを背負っていたり、悩んでいた多くの人たちが感動をし、勇気づけられていったのでした。

「神様が私の目を見えなくしたことに、今感謝しています。

なぜ私の目を見えなくしたかの意味がよくわかります。

このことに私は自分の役割を感じ、喜びを感じています。

今は本当に幸せです。

この幸せなまま、お迎えが来ることを心から願っています」とおっしゃるのです。

実際に言葉のとおり、過去にお世話になった人たちを招いて、いわば生前葬のような会を催したり、ヨーロッパや各地にいる知人にお別れとお礼の挨拶を済ませてあるというのです。

私もAさんの話を聞いて、心から感動しました。

本当に立派な方だなと感服しました。

しかし、Aさんの話しをしばらく聞いているうちに、一つだけ引っかかるものを感じ、直感的にAさんに向かって、ズバリ切り出しました。

「Aさん。私はお話を聞いて大変感動しました。

しかし、一つだけ気になるところがあります。

Aさんは今、『神様が私の目を見えなくしたことに、今感謝しています。

なぜ私の目を見えなくしたかの意味がよくわかります。

このことに私は自分の役割を感じ、喜びを感じています』とおっしゃいましたね。

しかし私は、神が目を見えなくすることはないと思います。

目は見えるように作られているんです。

車でも作ったままに使ってもらうことが、その車を作った人の意に沿うことですよね。

目は見えるためにある。

耳は聞こえるためにある。

むしろ目が見えるようになるということが、神の意に沿うということじゃないでしょうか。

そして、目が見えるようになることで、人々に喜びを与えることができるんじゃないでしょうか。

Aさんの役割は、むしろ死ぬまでに目が見えるようになることです。

そうすることによって、世の中の何万人もの方があなたの影響を受けるでしょう」

そして私はこのように続けました。

「私たちの命の働きというのは、必要なものを必要だと心から願うことによって、動きだすはずです。

筋肉は使えば使うほど発達しますよね。

使わなければ老化してしまいますね。

Aさんは目が見えないことを喜んでいますが、目が見えることを願うことではないでしょうか。

ご自分の顔や奥さんの顔、そしてお孫さんの顔を、しっかりとその目で見て、それから人生を終えることではないでしょうか」

いつの間にか私は、テーブルを叩きながら、心に浮かんで来る言葉を全力で話していました。

気がつけば、私は1時間半ほども話し続けたようでした。

すると、その間私の話をじっと動かずに聞いていたAさんが、突然「あーっ!」と大きな声を上げました。