佐藤康行の言葉をお伝えします。
相手は光そのものであり愛そのものであり。
ですからいろんな愚痴や不満を言ってでもその人はもう愛してるから、好きだから不満を言っている訳、どんな事をいっても愛の叫びなんです。
愛を求める叫び、そこをオウム返ししてあげる。
よろしいですか、相手は真我そのものが本当の相手の実態だから、その真我を真我でオウム返ししてあげる。
誰かが答えを貰うんじゃないんです。
答えは自分の中にある。
究極の答えは真我に目覚める、真我に目覚めた瞬間にもう答えが全部分かってくる。
どこを質問してつくか。
それによって必ず真我の方にでるように付き方をするんです、質問は。
そうしたら人がに本当の自分に目覚めてどうだってなった時に自分の中に答えがあふれでてくる訳です。
ここがもの凄く大事なとこです。
だからあなたにあなたをプレゼントするんです。
いいですね、あなたにあなたをプレゼントするんですよ。
たとえば、私はもう何も悩みはありませんとその瞬間に結構ちょっとまずいなと。
なぜならばじゃああなたの子供は、あなたの親は、あなたの兄弟は、あなたの親戚は、あなたの職場の仲間は、あなたの地域社会の人は、日本人は、世界の人はってなったらそれを自分の悩みとして考えれるようになったら違うでしょ。
自分の悩みだけ解決しておしまい。
まさにそれはエゴじゃないですか、ですよね。
まあそういう風にしてやって行くと広がっていく、いくらでもある訳です。
よろしいですね、だから子供の悩みは自分の悩みなんです。
よくそう思って「俺なんで涙が出てくるんだろう」実は自分の中にあるものが出て来たんです。
その自分の中に埋もれていたものがその涙は言葉なんです。
何かのメッセージをだしてる自分の中から出てきているメッセージなんです。
それが一つの答えなんですね。
その答えが何なのかっていう事はその涙はちゃんと文字にしたら文字にできるんです。
相当詳しくできるんです。
それを分かるようにしたらいい訳です。
皆んなその悩みに答えるっていう事はどういう事かって言うと、相手が腐ったゴミを出してそのゴミに対してゴミをどうしようかって答えているんですよ。
おかしいでしょ。
ゴミを出したらあなたの家の黄金を出してあげるんです、ゴミなんてどうでもよくなるんです。
今言ったのそういう事なんです。
殆どの人はゴミに対してゴミを答えてるんです。
下手したらそのゴミをぶつけてる場合がある。本当ですよ。
自分がちっぽけだなと思っても、相手に注意されて思ってるんじゃないんです。
自分の中からでてきてそう思ったんです。
だから何の抵抗もないし自分の素晴らしさが出て来て自分の中に黄金が出て来て、何て私はゴミで生きていたんだろうって自分を責めているようで責めてないんです。
ゴミしかないと思ったらゴミしかない私って喋るんです。
でも黄金がでてきたらゴミをいくら出て来たってどうって事ないんです、黄金が本当の自分だから。
だから自分を責める事は無い訳、落ち込む必要が無い訳です。
変わりのもっと素晴らしい自分が出て来ているから。
分かってきましたね皆さん。
言葉いらないんです、そのオウム返しです。
で相手の事が全然分かってなくていいんです。
分かって無い方がむしろいい位です。
分かっているのは相手が真我そのものである事だけは分かっている。