1469.自分が実行した分だけが本当の学びになる

真我日記

多くの人々は、何かを学ぶということを、書物で読んだり、見たり聞いたりして、知識を得ることと理解しています。

確かに、学校教育の中での学びは、知識として理解する、頭の世界の領域です。

しかし、実際に生活に密着している社会生活の中での学びというと、意味が違ってきます。

生きていくのに本当に役立つ学びとは体験、知恵のことです。

そして感じ取る心です。

体験しないで学んだと思ってもそれは錯覚で、自分の身体で味わったことでなければ、物事の本質は分かりません。

自分で痛い思いをしなければ、本当の痛さが分かりませんし、泣いた経験がなければ、悲しい人の心は分かりません。

本当の痛さを知っていれば、他人が傷を負っているのを見ても、その痛さが分かり、思いやりの心が出てきます。

学校で本だけ読んで、頭だけで分かったつもりになってもいけません。

本で読んでいるうちは、確かに学びの世界ではありますが、本質を見極める、本当の学びではないということを自覚すべきです。

学校で学ぶことでは、一つの問題には基本的に答えは一つです。

しかし、日常生活の中では、一つの問題に対しての答えは無限なのです。

同じ問題に直面しても、百人いれば、百通りの解決策が考えられます。

しかも、その全ての答えが正解なのです。

社会生活の中では、各人が出した答えが正解であり、真実なのです。

ですから、自分が問題を解決する時に、いろいろな体験を通じて、たくさんのことを学んでいればいるほど、より的確な、より成功へと向かう答えを出しやすいのです。

私たちが日々生活している中で、いろいろなことに直面して対応していく時に、体験の中から、自分にとって有益なものを掴んでいく意識と感性が必要なのです。

自分が体験したことから、全てを身体で感じ取れるような人間になるのです。

頭で理解することと、心で感じ取ること、この両方が必要なのです。

同じ内容の話をしても、多くの人に感動を与えられる人と、全く影響を与えられない人がいます。

その違いは何なのでしょうか。

多くの人に感動を与えられるような人は、いろいろな体験を積んでいることはもちろんですが、その体験を通じて学び、学んだものを自分の身体の血や肉にしていく感性を身につけているのです。

そうでなければ、本当に他人の胸を打つ話もできませんし、他人に影響を与えるような人間になれないのです。

日常生活においては、体験した分量だけが本当の学びであって、自分に対する学びなのです。