1794.具体的な実践指導2

真我日記

写真は挽肉と厚揚げのあんかけです。厚揚げ栄養たっぷりで大好きです。

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佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。

「真我の鏡返し」の急所を、
心のドクター佐藤康行先生の名著:奇跡を呼び込む「わがままスッキリノート」
(たま出版)から、見ていきます。

佐藤先生:
100パーセント自分の問題と捉えると、「自分が悪い」と思ってしまい、
自分自身を責める人もいるかもしれませんが、
自分の問題だと捉えても、何も怖くありません。

なぜなら、「問題はない」からです。

もともと「問題はない」ので、仮にあなたが何かを問題だと思ったとしても、
自分を責める必要はありません。

相手は真我であり神であって、「完璧」なのです。

「完璧」だから「問題はない」のです。

ないものに対して自分を責めることもないし、相手を責めることもないということです。

すべての前提は、「相手は完全完璧で、神である」ということです。

あなたがこのことを理解しようとしまいと、それが答なのです。

ちなみに、「あなたは完璧です」と言われると、
完全無欠であることなのかと思われるかもしれませんが、そうではありません。

もう、そのままで「完璧」です。

弱いままで「完璧」、未熟なままで「完璧」なのです。

例えば、花が咲いて初めてその花がチューリップになるのではなく、球根の状態でも、
目が出ただけでも、つぼみでも、そして枯れていたとしても、それはチューリップです。

また、チューリップの花が咲くのは「完璧」ですし、咲かないのも「完璧」です。
なぜなら、天候や肥料の関係で花が咲かないということ自体が「完璧」だからです。

これと同じように、今、この瞬間に、私たちはすでに「完璧」であり、神なのです。

これから神になるのではありません。

もともと、「完璧」なものがあります。

あとから何かを付け加える必要ありません。

咲かなかったチューリップも、天候や肥料などの条件がそろえば花が咲く、
もともと「完璧」なものが備わっているのです。

目の前の相手は真我で「問題はない」のですが、
それでも現実にはなかなかそう思えないことも多々あるでしょう。

でも、「問題はない、完璧だ」と、本当にそう思えて付き合えたら、
問題と思われることは本当になくなるのです。

目の前の相手の「完璧」だけを見て付き合うと、
相手は、あなたと話をすればするほど自分が認められているということがわかってきます。

深いところの自分が認められているということがわかるのです。

そうすると、そうではない自分が消えていきます。

自信をつけるのと自信をなくすのは正反対ですね。
自信がついてきたら、自信がなくなるその方は消えていくのと同じです。

これを、「心の3層構造」で説明してみましょう。

前にも述べましたように、私たちの心には、
まず「頭」という「観念」の層があり、その下に、
プラスとマイナスの膨大な記憶(カルマ)が刻み込まれている「業・カルマ」の層があります。

そのうちのマイナスの記憶(カルマ)に支配された反応が、
愛の不足を補うためにお酒や薬物を飲む行為となって現れます。

しかし、最も深いところにある「真我」は、内なる神の心であり、「完璧」です。

そして「完璧」だから、「真我」には業もカルマもありません。

ですから、相手の「真我」だけを見ていくと、その上にあるカルマは消える—–というより、
そんなものはもともと無いのです。

そうやって、相手の「真我」だけを見ていくと、
相手は、そうではない自分が消えていき、現象面に現れていた行為も消えていくわけです。

人は、心で思っていることが行動になるのですから、
思わなくなったらその行為はしなくなります。

もっと分かりやすく言えば、人は最高の存在として扱われると、そのようになっていきます。

周りから「先生「と呼ばれると、先生になっていくのです。

学校卒業して会社に就職をし、上司や同僚に囲まれて仕事をしていくうちに、
社会人になっていくのです。

一方で、相手の不完全さを覚めると、相手が不完全だと認めていることになるので、
自分が認めたものが現れてきます。

ですから、「相手に問題はない」と、本当にそう思えるようになるまで、
人は本来完璧であることを自分の中に落とし込むことが大切です。

難しいと思われるでしょうか?

本当は簡単です。

なぜなら、「問題はない」ということが答えであり、真理だからです。

そういった意味で、難しいとか、
時間をかけて理解するという発想さえ間違っていると言っていいかもしれません。

自分が人間であるということを自覚するのが難しくて時間がかかるというのは、
おかしいですよね。

あなたが人間であるというのと同じように、
「問題はない」ということは、真実であり、真理なのです。

このことは、理屈で説明するよりも、
実際のやり取りを読んで感じていただければと思います。

この心のドクター佐藤康行先生の物事の捉え方。
そのとおりにカウンセリングで実践する技。

これが、今までに見たこともない、
真理に基づくカウンセリングの現実の技、対人法なのです。

いよいよこの先、早紀さんと佐藤先生のやり取りに、
実践の方法が明確に。

その時、「神技の真髄」を垣間見ることになります。

神技とは、人間技ではないということ。

「神の手を持つドクター」が、外科医の最高の賞賛の表現とすれば、
この神技カウンセリングを実践する佐藤先生は、まさに
「神の心を持つドクター」と言えるでしょう。

その実践の真髄は、明日のお楽しみに。