1890.生命という名医4

真我日記

写真はかますの開きです。焼き魚と厚揚げがマッチしてとても美味しかったです。

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佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。

【前回からの続き】

なぜ、精神疾患が治っていかないのでしょうか?

その理由はいたってシンプルです。

人間を支える本当の名医である生命(いのち)の働きの自然治癒力=自己治癒力。

その働きを邪魔するからです。

細胞の分裂なくして、生命維持はできませんが、その働きは、常に新しくしていく修正の過程といえます。

「恒常性」ということで表現される、何があっても常に一定を保つ働き。

身体の調整機能です。

それを一言で集約すると、「自然治癒力」ということができます。

その最も急所となる生命(いのち)の働きである自然治癒力を阻害するようでは、治るものも治らないことになってしまいます。

YSメソッドでは、意識的にその「自然治癒力」を発動させることができます。

過去の記憶によって埋もれて、出て来れない生命(いのち)の名医である自然治癒力を引き出すことができるのです。

生命(いのち)の名医=心の自然治癒力とは、愛に溢れた、喜びにあふれた、感謝に溢れた心のことです。

その心が建設者となって、体に結果が現れやがて人生に現象として現れるのです。

愛に満たされているというのは、自分を愛し、人を愛し、周りの全ての人から愛されていると分かっている心です。

「これは愛だ」「それは、愛じゃない」というような価値観による条件付の愛のことではなく、全てが愛という無条件の愛のことです。

いうなれば、すべての人が大好きな心です。

喜びにあふれるというのは、全てにすでに満たされていると分かっている心です。

何か手に入ったら喜ぶという条件付きの喜びではありません。

その身そのままで、もうすでに満たされていると完全にわかっている心です。

感謝に溢れるというのは、すでにすべてのものに感謝している心です。

何かしてくれたら感謝するという条件つきではなく、いつも感謝の心が溢れているということです。
生きているのではなく、生かされているという心です。

愛、喜び、感謝というのは、「能動的にするもの」ではなく、「自然と湧き上がってくるもの」です。

その愛に溢れた、喜びにあふれた、感謝に溢れた心が原因となって作り出す人生は、やはり愛、喜び、感謝に満ち溢れているものになるのは容易に想像できます。

この、生命(いのち)の源から湧き上がる心こそが、生命(いのち)の働きの心であって、自然治癒力そのものなのです。

この心を、本当の名医というのです。

生命(いのち)の源である真我の心が、本当の名医、最高の名医なのです。

この、生命(いのち)の源から湧き上がる心こそが、あらゆる人間の問題、悩み、苦しみ、トラウマなど過去の記憶を一掃してくれるのです。

心の病の例えば、怒り、不安、心配、恐怖、トラウマの全ては、この生命(いのち)の源から湧き上がる愛の不足感によるものが原因となっているのです。

ゆえに生命(いのち)の源から、愛に溢れた、喜びに溢れた、感謝に溢れた心が引き出されてくると、その愛の不足感が瞬時に満たされてしまいます。

その瞬間に、うつ病などの心の病はきれいに消えてしまうのです。

佐藤先生は、人間とは、人間の意思と、生命(いのち)の源である真我の意思の合作であるという表現をされます。

ゆえに、人生を生きていく上で最も重要なことは、この人間の意思を、生命(いのち)の源である真我の意思に沿って生きるということになってきます。

人間の意思、意識を、この生命(いのち)の働きに沿わせる生き方の提唱です。

そこには、作戦や考えなど、人間の思考でコントロールしようとする無駄な力が全く必要ないのです。

完全完璧な働きに沿う生き方では、そこには完全完璧な世界、人生が展開します。

続きは、また明日。