1712.天国と地獄

真我日記

写真は豚汁です。味噌と野菜が相まって優しい味です。

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佐藤先生の言葉をお伝えします。著書たった二日でまんまるより
天国とか地獄と言うのは、ある一定の場所のことを言っているのではありません。それは心の状態のことを言っているのです。

心が大調和していれば天国、不調和なら地獄にいるということです。生きながらにして、天国にも地獄にも住むことはできるのです。

天国とは“まんまる”のことを言います。地獄と言うのはカルマの世界です。“まんまる”が本当の自分ですから、天国は私たちの中にあるのです。

自分で地獄というものを認めた時に地獄に落ちるのであって、それは自分だけの一人相撲のようなものです。

幸せな家庭の中にいても「私は不幸だ」と言っていたら不幸になるのと同じです。本体そのものはいつでもみな天国にいるのです。もう既に私たち73億人は天国にいるのです。それに目覚めればいいのです。

本当は地獄などは存在しないのですが、地獄だと思っている存在があるのです。“まんまる”そのものが天国ですから、私たちは既に天国にいるのです。

全部心の世界です。過去の記憶に縛られて、地獄だと思ったら地獄なのです。しかし、“まんまる”が完全に自分のものだと思ったら、その場から天国になるのです。地獄と天国は内なる世界にあるのです。外の世界にあるのではないのです。

肉体が滅んでも、想念がそのまま縛っていたとしたら、その延長になります。“まんまる”に気づくことができず、苦しみの想念そのものを自分だと思っていたら、肉体がなくなってもその想念だけが残る場合もあります。

それを霊体もしくは幽体と言います。肉体があろうが滅びようが、天国を見た時はいつでも天国、地獄を見た時は地獄なのです。

本当は天国しかないのですが、私たちはそう思えない状況が目の前に現れた時に、どうしてもその現象に囚われてしまいます。

今抱えているものが強烈であればあるほど、その現象に引っ張られてしまうのです。例え、目の前にいる人にいかめしい顔で怒鳴られたとしても、その時点では実はまだ問題は何も起きていないのです。ところが、自分の心の中で問題が起きてしまうのです。

しかし、そのような場合でも、全ての人は“まんまる”そのものであるという強い確信を持っていれば、その状況に囚われなくなります。

さらに強ければ、相手をも一瞬で変えることもできるのです。どれだけ偏屈な人であっても、こちらが光になって接していけば、相手の闇は消えてしまうのです。

いかなる悪人でも、善人に変えてしまうことができるのです。ただ“まんまる”を開いて、愛そのものになっていればそうなれるのです。徹底的に“まんまる”に気づいていけば良いのです。

宇宙という言葉についてもいろんな解釈の仕方があります。宇宙の中に天国も地獄もあるという言い方もできますし、聖書で言うように天国の中に宇宙があるという捉え方もできます。

一番精妙な世界が天国であり、精妙であるほど広いと捉えることもできますから、そういう意味では天国の中に宇宙があると捉える方が正しいかもしれません。天国と言うのは“まんまる”そのものであり、全ての全てだから、一番大きなものなのです。

しかし、天国と言うのも宇宙と言うのも、あるいは無限空間と言うのも、全て言葉の解釈の問題であり、人間が勝手に区別したものに過ぎません。究極を言えば、全ては一つしかないのです。

“まんまる”が人間たちを裁くと捉えている人たちがたくさんいますが、本当は“まんまる”が裁くのではなく、自分たちがやったことがただ返ってくるだけなのです。

天に向かって唾を吐いたら、それが自分に戻ってきます。それだけのことに過ぎないのです。ですから、“まんまる”が人間に手を下すわけではありません。

自分がやったことが自分に戻ってくるという因果の法則が働いているのです。ですから、裁いた者は裁かれます。