1561.欲望のモチベーションの限界

真我日記

佐藤先生の言葉をお伝えします。著者悩み解決明快答より
「欲望のモチベーション」は、私たちのヤル気の原動力になっている点で、重要な役割を果たしています。

しかし、「欲望のモチベーション」には限界があります。

理由は、二つあります。

一つは、欲望の対象が固定化して、その対象が手に入らなければ満足できない状態になってしまうこと。

もう一つは、うまく欲望の対象を手に入れたとしても、その喜びは一瞬で、すぐに新しい欲望が生まれてしまう。そして、いつまでも不満を抱え続けなければならないこと。

これら二つの理由で欲望のモチベーションは行き詰ります。

「もっとお金があれば…」
「もっといい家に生まれれば…」
「もっといい女(男)だったら…」

何か得たいものが得られないとき、このような悩みが心をよぎります。

「何かがほしい。何かを得たい」というのは「欲望のモチベーション」です。

「欲望のモチベーション」は、本能の延長線上にあるものです。

おなかがすいたらご飯を食べる
夜眠くなったら、眠る。

これは、野性の動物でも同じです。

ただし、人間の欲望は必要を超えてしまいがちです。

問題は、欲しいものが手に入らないと幸せになれないと思い込んでしまうことです。

必要を満たすことではなく、欲望を満たすことが目的になってしまうことで、悩みが生じてしまうのです。

ここで一つの例をあげます。

あなたは今欲しいものを何でも手に入れることができるとします。

欲しいものは、どんなものでも一瞬で手に入ります。

そしてドラえもんの「どこでもドア」のように、いつでもどこにでも好きな場所に一瞬で行くことのできる魔法が使えます。

世界中、いつでもどこにでも行けるのです。

何でも手に入り、望みの時間に望みの場所に行けるのです。

このとき、あなたはお金が必要ですか。

必要ありませんよね。

それでは、なぜものが欲しくなったり、生きたい場所に行きたくなったりするのかというと、それを手にすることによって喜びを得たいからなのです。

それを得ることによって満たされたい、愛されたいのです。

本質的には、愛を求めているのです。

この仕組みを理解できないと、「モノやお金を追い求めないと幸せになれない」と思ってしまいます。

自分の欲望を満たすことを動機として行動してしまいます。

その結果、

「これは私のもの」
「これは俺の土地」
「私の地位は誰にも渡さない」

というような「自分を守る発想」になってしまいます。

「欲望のモチベーション」が顕著にあらわれたのがかつてのバブル時代だったといえます。

まさに、欲望丸出しで活躍した時代です。

欲望のモチベーションが先行したバブル時代は、倒産、家庭崩壊、一家離散という結果をもたらしました。

「欲望のモチベーション」だけで行動してしまうと必ず行き詰まります。

この事実から、「モノやお金それ自体には人を喜ばせる力はない」ということがわかります。

「ここは私の土地だ」といっても、それは名義という手続き上のことにすぎません。

土地を所有していなくても世界中を旅行することができます。

ここからここまでは自分のもの、というとらえ方ではなく、あなたの目に映るものは自分のものと思ってもよいのです。

景色であろうが、建物であろうが、自分が知覚する世界の中に入ってくるからです。

ですから、名義上、自分のものでなくても喜ぶことはできるのです。

心では、あの山も海も、この地球も、あの太陽もあの星も…全部自分のものと思ってもよいのです。

要するに自分の中に全てがあるということなのです。

ホームレスの人の中には、金銭的に恵まれた人以上に幸せそうな顔をしている人もいます。

たとえ、家一軒もらっても、たくさんの財産をもらっても、それを喜べる心であるかどうかが問題なのです。

ですから、モノやお金そのものには積極的にはあなたを喜ばせる力も苦しませる力もないのです。

そして、モノやお金に必要以上にこだわってしまうところに、「欲望のモチベーション」の限界があります。