849.自分が正しいが間違いの始まり

真我日記

佐藤康行の言葉をお伝えします。

自分が正しいと思ったときから間違いが始まるです。

国際政治では、力の論理が
幅を利かせています。

国際社会での発言力を
維持するには、
軍事力を維持することが
必須となっています。

これは国家にしてみれば、
自分たちにとっての
悪を叩くために必要なのです。

日本人は、こうした世界よりも、
別の世界に活路を見出すべきです。

日本人は、和を基調としてた
人間関係が、得意であったはずです。

現在の世界は、
無理が通れば
道理が引っ込むのが
実情です。

いった者勝ち、やった者勝ちの
国際社会に、日本こそは
一石を投じてほしいものです。

ドイツの遺跡学者で、
トロイア遺跡の発掘に成功した
シュリーマンは、1865年に
日本を訪れたとき
こう述べたということです。

「この国には平和、
行き渡った満足感、
豊さ、完璧な秩序、そして
世界のどの国にもまして
よく耕された土地が見られる」

日本は「正義」以前に
和を大切にしたのです。

「正義」とは、思えば
自分の主張を権威づける
レッテルのようなものです。

正義に対立する「悪」ならば、
滅ぼしてもいいと感じるのが
西欧の発想です。

しかし日本人は、
たとえ自分と違う考えでも、
暴力的に闘って滅ぼそう
という発想はとりません。

自分が譲歩しても、
他人との協調関係を
維持するというのが
日本的な発想です。
 
こうしたやり方に、
ときに批判もあるのは事実です。

そんな甘いことで冷徹な
国際社会を生き抜けるものか、
という意見も説得力があります。

しかし、西欧的な白黒
はっきりつけるやり方に、
もう多くの地球人は
疲れているのではないでしょうか。

一見あいまいで、
時間もかかるけど
双方が粘り強く話し合う、
日本流の交渉のやり方が
どれだけ平和のために
役立っているか、
もっと評価してもいい
のではないか思います。

「正義」という錦の御旗を掲げて、
教会は地動説を唱える
ガリレオを裁判にかけました。

しかし現在では、
教会が誤っていたことを
小学生でも知っています。

正義、正統……
そうしたものよりも、
平和の中での共存を探る道こそが、
これからの社会には
必要なのではないでしょうか。

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