1458.本当の愛は時には手を差し伸べない

真我日記

佐藤康行の言葉をお伝えします。著者成功と幸福を呼ぶ言葉より
友人や知人が苦境に立っている時に、あなたならどうしますか。

手を差し伸べてあげて、救けてあげるのも愛かもしれませんが、本当に相手のことを考えて、相手を自立させてあげようと思ったら、相手が自分で立つように、リードしてあげることです。

例えれば、お腹を空かしている人に魚をあげるのではなくて、魚の釣り方を教えてあげるということです。

相手は、一度魚をもらうと、もらうくせがついて、また魚をもらうことを期待してしまうのです。

その人は、一生他人に依存するくせが身についてしまい、一人で自立して食べていけなくなってしまいます。

魚の釣り方だけ教えておいて、後は見守っていれば、相手は教わったことを思い出しながら、自分で工夫して、知恵を出して釣ってみるでしょう。

そこで初めて本当の力が出てきて、その人の自立が生まれてくるのです。

そのためには、教える側の忍耐が大切になってきます。

子供に対しても、何にでも手を差し伸べることは、必ずしもその子供のためによい結果を生み出しません。与えられることが、当たり前となってしまうのです。

自立することを知らずに、全て型にはまったマニュアル人間になってしまい、与えられるだけの人間になってしまいます。

時には、手を差し伸べないことが大切なのです。

現状の学校教育を見渡すと、全て詰め込み主義で、そこで培われた若者が、与えられるくせが抜け切れないまま、社会人になっているケースが多いようです。

いかに自分で掴み取る、自分で作り出すという、自立心のある人間に育てていくかということが、これからの教育の重要な要素なのです。

これからの教育は、いかに自らの素晴らしい潜在能力を引き出すか、ということを主眼としたものにしていかなければならないのです。

いろいろな知識を詰め込むこと、つまりインプットは、あくまでも自分の中から自立する方法を引き出す、アウトプットのための呼び水なのです。

人間には、本来、加工・吸収する能力が備わっています。

インプットしたものを、加工して、自分の知恵や肉に変え、不要なものは排出していく能力を持っているのです。

私たちは、食物を消化させるように、知恵や知識も、加工し、必要なものだけを吸収していくことができるようになっているのです。

誰でも、そのような加工をする力を持っているのです。

すでにそうできる機能が備わっていることを自覚することが大切なのです。

型にはまった、マニュアル人間から脱却するのです。

自分の中に全てが揃っているということを信じ、自分の足で立つ事を覚えさせるということが、これからの教育の原点であるべきなのです。