967.奪い合いからあたえ合いの時代へ

真我日記

佐藤康行の言葉をお伝えします。「奪い合いからあたえ合いの

豊かな時代がはじまる」

についてです。

究極の自由に移行していく経済社会とは

どのようなものかと問われれば、

神のみぞ知るとしかいいようがないでしょう。

正直、予想も立てられません。

それは、奪い合いではない世界に

なっていくでしょう。

あたえ合いの中での

自由な社会になります。

奪い合いとは、

個体対個体という次元です。

一方の個体が豊かになるために、

相対する個体の分を

少しでも奪おうという世界です。

そうではなく、

個体と個体がひとつになったら、

どちらもひとつという意識になれば、

相手から奪う必要がなくなります。

こうもいえます。

全体としてのひとつという意識が

常に上位にある考え方です。

企業は、人間の欲望の満足のために、

企業利益というエゴを追求する存在です。

エゴの追求をすれば、

必ず競争が出てきます。

資本主義とは、

競争で成立つ社会ですが、一方で、

奪い合いの世界の限界を示しているのです。

しかし、あたえ合うのは、

全体はひとつという観点からの世界です。

それは「知識万能」の時代から、

「意識が中心」になる時代への転換です。

いってみれば「知識」によるエゴの追求から、

人類の最高の意識である「愛」を

中心とする時代への転換ということでもあるのです。

たとえば結婚生活を考えてみるとよいでしょう。

夫婦になる前のふたりは、

ひとり対ひとりでしたから、

自分のものと相手のものとの

区別は明確ですが、

結婚したら家庭の中のものは

基本的にひとつに融合したものになるでしょう。

夫の給料だろうと、財産だろうと

ひとつの家という単位で

ひとつのものとなります。

家庭内でこれは私のもの、

これは誰々のものと

多少区別するにしても、

基本的には家族という

単位のひとつのものとして考えてこそ、

全体がうまくいくということです。