佐藤康行の言葉をお伝えします。
たとえ一生懸命信仰しても、そのことで運が良くなるとは限りません。信仰といっても、何を信仰するかが問題なのです。
仏像やお札のような、モノを信仰する人がいます。
しかし、仏像やお札が、自分に何かをしてくれる力がある訳ではありません。仏像は溶かせば真鋳です。木像なら灰になるだけです。
例えば、目の前に食べ物があったとして、それを口に入れようとどれだけ一生懸命拝んでみても、いつまで経っても口には入りません。
自らが手を差し伸べなければ、いつまで経っても口には入らないのです。外的なものを信仰しているから、運命が良くならないとも言えるのです。
信仰というのは、自分の中にある満月の心を信仰するのです。そして、自分の中にある満月の心を引き出していくのです。
そうすることによって、あなたの人生は根本的に変わることができるのです。
外にあるものが自分を変えるのではなく、内にある「本当の自分」が自分を変えることができるのです。
仏像を拝んではいけないわけではありません。
仏像に手を合わせることによって、お釈迦様のような優しいありがたい顔が自分の心に共鳴して、自らの仏の心が引き出されていけばいいのです。
そのことによって、人にいい影響を与えることができればいいのです。そうすれば、運命も変わっていくのです。
しかし、あくまでも、全部、自分の内的な心が変化することによって、運命が変わってくるということを忘れてはいけないのです。
信仰によって運命をよくする方法は、外的なものではなく、内的なものを信仰の対象にすることなのです。
外的なものを信仰の対象にしていたのでは、運は良くなりません。なぜならば、甘えが出てくるからです。
外的なものが自分に何かをしてくれるんじゃないか、という気持ちが甘えになり、ますます自分のエネルギーが弱まるのです。
形のあるものを信仰して、ますます貧乏になる人がたくさんいます。そのことによって、逆に、いつも怯えている人がたくさんいます。
それは、形あるものに手を合わせて拝んでいれば、良くしてくれるんじゃないかという他力本願的な甘い気持ちがあるからです。
自分の力を引き出していって、自ら運命は切り開いていかなければなりません。
自分以外の力で、何かをやってもらおうという甘い気持ちが、ますます運命を悪くしてしまうのです。
依存をする心が、逆に運を逃がしていくのです。他人に依存するという意味での他力では、運命は良くなりません。自力と言っても、自分の我の自力でも良くなりません。
“本当の自分”の自力になった時に、それを絶対他力と言って、己を越した宇宙の力が働くのです。
その力は、自分の中に内在しているのです。その力を頼った時に、あなたは今から運命が変ることができるのです。
親鸞さんが、「即身成仏」と説きました。「この身このままで、あなたは救われていますよ」ということです。
もう既にあなたは救われているのです。南無妙法蓮華経と言うのは、このカルマの中で蓮の花が咲いているということです。
蓮の花が、どんなに世の中が泥沼に紛れていても、“本当の自分”は光り輝いていますよということです。
その力を使うのです。それが絶対他力です。愛の力、宇宙力といってもいいのです。
“本当の自分”はあなたの中にあるのです。あなた自身の心の奥にあるのです。それを引き出すことによって、あなたの運命は今からでも変わるのです。全部心の中にあるのです。
偶像崇拝をすると、どうしても人間はモノを崇拝するようになってしまうのです。後から、崇拝する対象が自分自身の心に変化する人は、滅多にいないのです。むしろ、偶像をますます信仰してしまうのです。
日本では昔、神様に鏡を置いていることがありました。それは、「神はあなたですよ」という意味なのです。
拝むのはいいのですが、仏像やモノはあなたを助けてくれる力はないのです。拝むことによって、ありがたいという心や喜びが湧き上がってきたり、心が浄化されていったりというのは、あくまでもあなたの心で起きることなのです。
宇宙飛行士が、宇宙から地球を見た時に、心が一瞬の内に清まった人もいますし、山に登って頂上から景色を見た時に、心が清まったり、今までの悩みが消えていったりすることもあります。
モノが自分の心にきっかけは与えましたが、全く影響を受けない人もいるのです。モノには、自分を変える力はないのです。自分の心が、そのことによって変化した時に起きる力なのです。
時には、小さな花を見てその花によって生まれ変わる人もいるのです。外的なものは、心を変化させるきっかけに過ぎないのです。