2619.自分が世界?!

真我日記

写真はハンバーグに厚揚げ添えとサラダです。 時短メニューですが、美味しくできました。

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佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。

佐藤先生:

社会ってのはね、社会とか、あなたの周りの世界ってのは、

基本的にね、あなたの周りの世界はないと思ったらいいです。

 

「ないって、あるよ」ってね。

それは、あなたの目を通して、あなたの心で感じる、

ここの自分の中に世界があるんです。

 

「あの人はこういう人だ」っていう、あなたの見方が、その人であって。

でも、100人いたら、全部見方が違います。

 

明らかに、そのものじゃないってことは間違いないんです。

 

あなたがそう思ってるその人なんです。

あなたがそう思ってる社会なんです。

 

だから、社会はこちら、自分の中にあるんです。

 

あの人はこちらの自分の中あるんです。わかるでしょ?

 

それが証拠に、あなたの目もなければ、耳もなければ、

全部の五感がなかったらないんです。

 

消えちゃうんですよ、この社会は。

 

全部あなたの目を通して、あなたの耳を通して、あなたが皮膚で感じる世界なわけです。

 

だから、「あの人はこんな人だ」っていうのは、それは自分のことを言ってるんですよ。

 

だって、「こういう人だ」とか「こういう出来事だ」と思ってるのは、

その心は誰の心ですか?

自分の心でしょ?

だから自分なんです。

 

その心は自分だから、自分なんです。

 

全部自分なんです。

 

だから、自分自身が変われば、このいろんな人とか事とか物が、

全部変わっちゃうわけです。

 

だから、世界を変えれるんです、あなたは。

 

 

 

 

この佐藤先生の講話からは、

目の前にいる相談者は、誰かと言うと、カウンセラー自身ということになります。

目の前にいる人が自分そのものだというのです。

 

このことは、大変なことです。

 

これは、相談者とカウンセラーの場合のみならず、自分の周りの人全てが、自分だということです。

人のみならず、出来事も、物も。

 

自分が見たその人、その出来事。

自分が認識したその人、その出来事。

 

五感の捉える認識では、本当の実体、真実が捉えきれない。

 

それは、過去の記憶が邪魔をするからですね。

人は過去の記憶の塊だと言うことは、人の認識はそのほとんど全てが、

過去の記憶によってなされているともいえます。

 

本当の実体は、全ては真我そのもの。

 

真我は、愛そのもの、喜びそのもの、感謝そのものであり、

無限であり永遠であり、光そのものの存在です。

 

自分の実体は真我そのものです。

 

ということは、真我である自分が見る目の前の人は、

やはり真我そのものだということになります。

 

一見、過去の記憶をもとに五感で見る目の前の人は、

落ち込んで、悩んで、苦しんでいるかわいそうな人に見えたりします。

 

しかし、その人は、真我そのもの、愛そのもの、喜びそのもの、感謝そのものであり、

無限であり永遠であり、光そのものの存在なのです。

 

自分が認識する目の前の人が、どのような状態であっても、

その人の真我という実体だけを認め、相手にすることで、

認識の世界が変化していくということになります。

 

相手の真我だけを相手にするというのが、

自分の真我だけを相手にすることになるからです。

 

認識は自分自身のことですので、その瞬間に、自分が変わるのです。

すると、相手が変わります。相手は自分ですから。

 

 

もし、最初から、相手を真我そのものとして認識できているとしたらどうでしょうか?

 

佐藤先生の場合には、いついかなるときも、

「相手は100%真我そのもの」というところから1ミリもずれていきません。

 

ずれるどころか、そのようにしか見えない、認識できないのです。

他の選択がないわけです。

 

ですから、偽我を相手にしないというのは、そういうことです。

 

ゆえに、相手が変わらざるを得ません。

もとの自分に戻っていくしかないのです。

 

もとの自分こそ、真我の自分です。

その瞬間に悩み、苦しみ、恨み、病が消えます。

 

ゆえに、相対の世界における対象者との間で、

この意識の反射つまり「真我の鏡返し」が瞬時に行われ、

相談者があっという間に元気になっていくため、

佐藤先生のカウンセリングでは、何が起きているのか理解を超えてしまうのです。

これが、「神技」と言われるゆえんです。

 

 

世界は自分。

 

目の前の相談者は自分自身であるということ。

 

このことは、相談者を認識するその根底が、

自分が自分自身をどのように認識しているのかということ通じると言うわけです。

 

このカウンセリング技法では、相談者の変化をとおして、自分自身が変化する、

自分の変化によって、相談者が変化するという相互作用が見事に起きてきます。

 

そのため、佐藤先生は、

「相談者とカウンセラーのどちらが救われているのかわかりません。」と言われます。

しかし、

「どちらが救われているのか分からないといいながら、実はどちらも救われていくのです。」

といわれるように、対人関係では究極の展開が可能です。

 

真我という漠然としたものを、

現実の人間関係にありありと表す佐藤先生のカウンセリング技法は、

真我の実践として筆頭にあがる技といえるでしょう。