写真はかに飯です。かにの身がぎっしりで美味しかったです。
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佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。
【三日月と満月2】===================
これを「人間は愛の塊」として見たときに、愛はまん丸だとする。
その表現体を三日月とする。
何か一生懸命怒っている、自分に何かを言っているあの人が.....
実はあれは愛を求める叫びだとする。
子供がそこでバタバタ手を叩いて騒いでいる、泣いている。
親から見ると大変問題児で、大変困っている。
「ああしてくれ、こうしてくれ」といって。
してあげても決して満足はしない。
また次のものを言ってくる。
その症状もその姿も、愛を求める叫びだとしたら、
仕事を一生懸命頑張っている。
体を壊すほど頑張っている。
その頑張っている姿も、「自分を認めて欲しい、わかって欲しいという愛を求める叫び」だと。
例えば、体がどこか痛くなったとする。
お腹が痛くなったとする。
それも体があなたの問題はここだよ、ここだよ、と指をさしている。
だから痛くなっている。
自分の体を守るという愛を求める叫びです。
愛を求める、満月を気づくための叫びです。
三日月が本心ではないよという叫びです。
その相手の奥にある愛、相手の奥にある神の心、仏の心、宇宙の心と言ってもいい。
そこが見えるようになったら、現象面に振り回されなくなります。
バタバタ騒いでいる、怒っているその言葉に振り回されなくなります。
バタバタ騒いでいる、怒っているのは三日月、ほんの一部を、愛を求める叫びを別の言葉で表している
その奥にある満月が見えるようになればいいわけです。
そして、見えるということは、的確にそこに手を打てるということです。
道を間違わない、その言葉に振り回されない、その言動に振り回されなくなります
その行動に振り回されなくなります。
刑務所にたくさんの囚人が入っている
そして、当然悪いことをしたから、入っているのでしょう。
精神病院にたくさんの患者が入っている。
当然そういう端からみたらおかしいと思われるからそこに入ることになったのでしょう。
でもそこにはいっている人たちも、満月として捉えて、ある一部の部分しか出していないという。
その奥にみんな満月、愛を求める叫び、愛を求めているんだと。
愛であるということを、わかって欲しい、認めて欲しい。
そちらのほうに語りかけたり、行動をしたりするとまもなく、三日月に向かって、あなたは満月だ、満月だといっているうちに、だんだん、だんだん三日月が満月になってくるわけです。
そしてそのような行動になるわけです。
鏡に、三日月のカを映すのか、満月の顔を映すのか。
いろいろ原因があって、三日月に見える
三日月ももっと細い形もあって、消えてなくなるかもしれない
消えてなくなっても、この目に見えないだけで、いつも満月。
そして、常に最初からずーっとまん丸ですから、とうぜん三日月になったとかという原因も結果も無いんです。
最初からまんまるだから。
ずーと、ずーっとまんまるだから。
地球がまんまるのように。
ずーと、ずーっとまんまるです。
原因と結果も同時に消えてなくなる。
鏡に映っていた姿が、消えてなくなる。
ま、こういうことです。
そのように見えたらいいですね。
みえたら間違わないよね。
そのように見えたら、みなさんガラッと変わっちゃいます。
なにもかも変わっちゃいます。