写真は日高屋さんの餃子です。安くて美味かったです。
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佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。
【事実とは関係なく、幸せと思える心があれば幸せ、不幸せと思えば不幸せ】===========
「幸せだ」「不幸せだ」と言いますが、その基準はあるのでしょうか。
あなたは基準があると思いますか、それともないと思いますか。
昇進できたら幸せ、左遷やリストラをされたら不幸と思いますか。
おそらく、ほぼ全員の方が「当たり前だ」と言うでしょうね。
しかし、こう考えたらどうでしょう。
出世したために会社に縛られてしまった。
責任も重くなり、精神的に耐えらないと思ったら?
不幸ですね。
逆に、リストラされても、心のスイッチを切り替えて「これでオレの人生、自由になる。新たな挑戦だ」と思ったら?
幸せですね。
ある日突然、ガンを告知されたとします。
余命数ヶ月と言われました。
奇跡的に助かったとしたらどうでしょう。
会社で嫌な仕事ばかりやらされ、上司にも恵まれず、自分は不幸だと思っていたとしても、そんなこと、もう、どうでもいいと思えるんじゃないですか?
それどころか、何て幸せなんだろうと感じるはずです。
今までは、「上司に怒られてばかりで自分はダメな人間だなあ、不幸だなあ」と思っていたとしても、「自分のために言ってくれている」と、ありがたいとさえ思うかもしれません。
余命数ヵ月でありながら心穏やかに過ごせる人もいれば、地位や名誉や財産の点で人がうらやむほど恵まれていても、苦しみもがいている人もたくさんいます。
事実とは関係なく、幸せと思える心があれば幸せ、不幸せと思えば不幸せなのです。
では、事態が悪化した場合の心の持ち方はどうしたらよいかというと、まず起こり得る最悪の場合を想定して、それをいったん受け入れてしまうことです。
要は、心の持ち方次第です。
幸・不幸は、外にあるのではなく、自分の内側にあるのです。
最悪が起こるケースは、滅多にありません。
だから、最悪を受け入れた後は、よい結果しか出てきません。
全部が幸せになってしまうのです。
(『人生の急所』ハギジン出版)