1866.全解明!常識を越す法則8

真我日記

写真はささみと野菜の煮物です。ささみは脂が少なくてヘルシーで良いです。

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佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。

「どのようにうつ病が消えていくのか」を探ってきています。

特に昨日の「三日月と満月の例え」から、
「うつ病」と診断され、明らかにその症状が見える人に対して、
「うつ病はない」というのは、どういうことなのかを見ていきます。

【佐藤先生の講話】
ここでやってるのはね、お月さんの例でいつも言ってるけど、お月さんが真ん丸でしょう?

でも、三日月しかみえない。

三日月の残っているのは、少し健康な部分だけ。

この欠けた暗い部分は病気の部分。

病気が消えるというのは、満月が本当に見えるようになったら病気は消えて、
満月が見えたら、三日月の欠けている部分が消えるわけです。

満月しか見えてない。

満月だから、それは自己暗示でも何でもない。

最初からずうっと真実を見るだけだから。

人間の真実を見るだけだから。

あくまでも真実だけを見れるようになる。

真実を見た時にある「健康である」ということなの。

するとどうしていいかが自然と見えてくるんです。

何をどうしていいか見えてくる。

自分の考えが邪魔になるんです、そこで。

みんなそれぞれが、お月様はこんな格好だって、
いろいろな形を想像したら、それが邪魔なわけです。

満月というのは、誰がどう見ても変わらないわけです。

この生命(いのち)、生命も変わらないのがあるわけ。

全部それに合わせれば全てうまくいく。

全部に実は答をもらっいてるはずなんです、私たちの生命(いのち)には。

それを発見するんです。

だから、「発見」という言葉が一番ぴったりなんです。

【満月のアプローチ】

この講話では、うつ病と診断された方を、うつ病と見るのではなく、
何も病などない完全な存在として見るということなのです。

ここのところが、あまりにも逆転発想的であり、
大変奇抜なアプローチに感じると同時に、とてもシンプルなところが、
分かるようで、分からないといわれる部分かも知れません。

特に、理屈でも理解できていて、
確かに自分の深いところでも実感があるにも関わらず、
目の前にうつ病で苦しんでいる人が現れると、
どうしてもその状態に目がいき、
病を認めてしまう方向へと流されてしまいがちです。

病を見て、何とか治してあげたいと思ってしまうのです。

佐藤先生は、こういう状態の人を目の前にしたとき、うつ病を一切相手にしません。

三日月を、相手にしないのです。
ないものは、ないから、相手にしようがない。

相手にしないというのは、本人が「うつ病なんです」と言われた場合に、
「あなたはうつ病ではありませんよ」と直接伝えるという意味ではありません。

相手の状況や状態に応じて、
「そうですか、うつ病と診断されたんですね。」
「何かきっかけになることなど、心あたりありますか?」と返していく場合もあれば、
「ああ、なるほど、そういうふうに思ってらっしゃるんですね」など、
様々な返しをされます。

つまり、相手が思うことや考え、言葉に出す内容などについて、
言葉や心の鏡返しをごく普通に行ないます。

相手は、否定されたり、言い合いにならないので、
安心して言いたいことを言える環境が整うのです。

相手は、「自分のことをわかってもらえた」と感じられるのです。

しかし、このスタート時点から、一貫して、
たとえ相手が何を言っても、どんなに悪態をついても、
どんな状態であっても、言葉の鏡返し、心の鏡返しをしつつも、
一切振り回されることはなく、
常に相手の完全、完璧な生命(いのち)の源しか、見ていないのです。

まさに、満月しか見ていないということです。

もっと正確に表現するならば、
「満月にしか見えない」わけです。

すると、どういうことが起こるのでしょうか?

ここのところをさらに詳しく見ていきます。
続きは、また明日です。