1736.小聖は山で悟り、大聖は街で悟る

真我日記

写真は豚しゃぶざるそばです。さっぱりして夫にも好評でした。
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佐藤先生の言葉をお伝えします。著書たった二日でまんまるより
心の世界を追究していく上で、陥りがちな落とし穴があります。

一般的な「悟り」概念に、山で座禅をしたり、瞑想したり、心の世界の知識を身につけたりといったものがあります。

しかし、そうやってさまざまな心を追究するところに出向き、また、何百、何千という心に関する書物を読んだ結果、むしろ、世間から浮いた存在になってしまう人がいるのです。

口では、立派な心の知識を並べ立てても、まったく仕事がない。愛、調和が大事だと知っていながら、夫婦喧嘩が絶えない。座禅や瞑想をしても、借金問題に悩まされ続ける。

人間関係はぐちゃぐちゃ……というように、知っていること言っていることと、やっていることのギャップが激しくなってしまうのです。

瞑想や、心の知識を身につけるのが悪いのではありません。

しかし、大事なことは実践なのです。実践を生かすことなのです。私は、「“本当の自分”の隣に実践あり」と言っています。

人里離れた山奥で悟ったつもりになっても、それは本当の悟りとは言えません。

街の中でのドロドロとした社会の中で、日常の生活の中で、現実の人間関係の中で、悟りを生かしてこそ本物なのです。

本で心の知識を知っただけで、お給料が上がるのですか。ただ頭を丸めても、日常のごたごたは解決すると思いますか。本当の出家というのは、日常の中で悟りを生かしきることです。

実践で使えなければ本当の悟りではないのです。観念の悟りではなく、“本当の自分”を体感し、その心で実生活のさまざまなことに向かっていくのです。

“本当の自分”は愛です。

ですから、“本当の自分”に目覚めていったら、愛から出る知恵が自然と湧き出てきます。そして、人に対する思いも、仕事に対する姿勢もすべて変わってきます。

その結果、人間関係の問題も、仕事の問題も、そして、健康の問題も、家族の問題も、すべての問題がそこから見事に解決していくのです。

“本当の自分”に目覚めることによって、本当の悟り、実践に役立つ究極の悟りを得ることができるのです。

「小聖は山で悟り、大聖は街で悟る」という言葉があります。

街の中で悟りを得ていくということが、最も大切なことなのです。“本当の自分”の実践こそが本当の悟りなのです。