1719.清濁合わせ飲めば広い心になる

真我日記

写真はブリの照り焼きです。あっさりした味付けにしてみました。
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佐藤先生の言葉をお伝えします。著書たった二日でまんまるより
清濁合わせ飲む。これは短い言葉ですが、奥の深い意味があるのです。

ここにきれいな水があり、もう一方に濁った水があるとします。

しかし、きれいとか、濁っているとかいうのは、あくまでも人間から見たものであって、濁っている水に住む動・植物が存在していることを忘れてはならないのです。

私たちから見れば、濁っている水でも、そこに住んでいる動・植物にすれば、こちらの方がきれいな水なのです。

また、濁っていると見えている水も、いろいろなものが混ざり合っているために、汚く見えるだけであって、混ざり合っているもの一粒一粒を捉えてみたら、ひとつも濁っていません。

それぞれがきれいなのです。

自分はこうだと思っていても、全く違う観点から見たら、全く違う見方があるということを認めることです。

ですから、清濁合わせ飲む心というのは、すごく大きな心なのです。

相手が間違っていると反発したり、攻撃したりする人は、まだまだ小さな世界の人間なのです。

逆に、そういう人は他人に迷惑をかける可能性が大きいのです。自分たちのみが正しいと思い、行動し、人を裁いてばかりいる危険性があります。多くの場合、危険です。

なぜ、全てを包み込むことができないのでしょう。

自分の意見に対して、反対する意見が出たら、感謝すべきなのです。ひとつの物事に対して、違う側面から見たら、そういう見方をする人もいるのだと、教えてくれているのです。

これは、何もかも迎合するというのではありません。

相手には相手の言い分があるのですから、まずいったん全てを受け入れて、それから、自分の信念を堂々と主張すればよいのです。

こうすれば、相手は心を開きます。相手との間に壁ができません。

童話のひとつに、北風と太陽という話があります。

北風がいくら頑張っても、旅人のコートを脱がすことはできませんが、太陽が暖かい日差しを浴びさせると、旅人は自らコートを脱ぎます。

人間の心も同じです。意見が違うからとか、自分に対して批判的だなどといって、攻撃したり、戦ったりすれば、相手も心を閉ざして、泥仕合ということになるのです。

一歩自分を成長させ、全てを包み込んで、相手を中から、心から変えてしまうことができる人こそ本当の指導者と呼ばれる人なのです。

清濁合わせ飲む広い心を持ってください。