1718.物事は反対から見ると真実が見える

真我日記

写真はサバの味噌煮です。味が染み込んで美味しかったです。
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佐藤先生の言葉をお伝えします。著書たった二日でまんまるより
キリスト教で、罪のことを”人間の浅知恵””禁断の果実”と言っています。これは、人間の浅知恵で神の心を消してしまうという意味です。

ちょうど太陽を雲で隠すように、不完全な眼鏡で完全なものを見るようなものですから、眼鏡が歪んでいたら、真っ直ぐな棒も曲がって見えるはずです。

人間の心の中には、完全な心と不完全な心があります。
魂は完全ですから、満月の心(真我)そのものと言えます。

しかし人間の心は、それとは逆に迷いやすく、曇りやすく、マイナスの心になることが多くあります。

明るく前向きに考えることもありますが、人を恨んだり憎んだりすることもあります。

非常に不完全であり、揺れ動いています。その不完全な心を完全な魂から見ると、自分の心が手にとるように見えてくるのです。

恨んだり憎んだり嫉妬したりするのは、実は愛の変形なのです。認められたい、褒めてもらいたい、解ってほしい。

しかし、解ってもらえない、認めてもらえない。だから心が歪むのです。

これを自分以外の、会社、社会、世の中のすべてに当てはめても同じことが言えます。

昔、この地球は平らで海の向こうは崖になっていると思われていました。いくら地球は丸いと論じても、証拠がなければ平らであることが常識になってしまいます。人間は、自分の目で見た範囲でしか物事を判断しないのです。

しかし、それが必ずしも正しいとは限りません。だから、人間は本当の意味で謙虚にならなくてはいけないのです。

謙虚になるには、反対から物事を見る必要があります。

社員は社長になってみて初めて、社長の心がわかります。逆もまた然りです。子は親になって初めて、親の心がわかります。

会社はお客様になってみて初めてお客様の心がわかり、自分の会社が何を求められているのかがわかるのです。

自分の顔も鏡で反対から見ることによって、どこが汚れていたのかがわかるのです。

人間はいつか必ず死ぬんだとわかって初めて、生きることの喜び、時間の尊さ、命の尊さに気づくのです。

このように、物事はすべて反対から見るとよく見えるのです。