1660.私たちはすでに救われている

真我日記

写真は炊き込みご飯です。簡単でとても美味しいです。

佐藤先生の言葉をお伝えします。著書宇宙意識で因縁を切るより
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仏教の言葉に「即身成仏」という言葉があります。

この身このままで仏であることを悟るということです。

私たちは生きていても死んでも仏であり、いつも救われているのです。

私たちは本当の自分を開くことによって、まさにこの身このままで仏であるということを悟ることができるのです。

仏壇店を経営する落合功さん(仮名・36歳)は、その仕事がら、死ということばかりに目がいっていました。

そこに、30年連れ添った奥さんが亡くなって、余計に気持ちが死の方向に向かっていました。

この仕事をしているからこうなるのかと、仕事自体にも疑問を持ち始め、仏壇店をやめようと考えていました。

そんなある日、知人から真我開発講座のことを教えられ、受講することになりました。

そして、彼も本当の自分に目覚めることができ、今までにない大きな感動を味わいました。

「ワッこれだ!

これが本当のボクなんだ!

と気づいた瞬間、涙があふれて止まらなくなりました。

もう無償に泣けました。

あの時のことは忘れません。

今までボクは人前で泣くようなことはなかったんです。

父が亡くなった時も、妻が亡くなった時も、変にカッコつけていて泣けなかったんです。
それがあの時は、本当にワンワン泣いちゃいましたよ」

そして今彼は、傾きかけていた事業を見事に立て直し、イキイキと仕事をしているのです。

「今は、下請け職人の仕事を取ってくることができると、それが無茶無茶嬉しくて…。

帰り道、トラックを運転しながら、職人さんたちの喜んでいる顔を思い浮かべると泣けてくるんです。

それと、お客さんにも本当に喜んでもらえるんです。

この間も、古い仏壇をリサイクルしてきれいにしてあげたら、『ありがとう』っていって、70歳くらいのおじさんが、うちのトイレでオイオイ泣くんですよ。

こんないい仕事ないなあって思います。

それをやめようとしていたなんて…。

今はもうただありがたくて、一生懸命がんばろう!

って思っています」

落合さんは、今まで死ぬということと生きるということには境目があり、死ぬということは悪いこと、生きることはいいことだと捉えていました。

そして、自分の仕事は死を扱う暗い仕事だと思い込んでいました。

しかし、そんな彼も、本当の自分に目覚め、自分が仏であるということを悟ることができたのです。

死んで初めて仏になるのではなく、生きているときも仏の愛そのものなのだと気づいたのです。

そのことによって、今生かされていることに喜びを感じ、周りの人たちに感謝の気持ちがわき、その感謝の心が涙となって現れたのです。

そして、今までは暗い仕事だと思っていた仏壇店という仕事を、そうではなく、これは仏の心を広める仕事だということに気づいたのです。

この仕事は決して暗い仕事ではなく、生死を越えて、本当の命の大切さ、命の喜びを人々に伝える仕事だということがわかってきたのです。

そのことによって、今までは仏壇店という商売を卑下していたことが、逆に誇りを持てるようになったのです。

心が変わったのです。

まさに私たちは、この身このままで仏なのです。

この身このままで本当に素晴らしい自分なのです。

本当に自らが仏であると悟りきることを、仏教では解脱とも言うのです。

そして、その心はどんな人にも備わっているのです。

そのことに気づくことができれば、落合さんのようにいつも嬉しくてありがたくて楽しい、そんな毎日を送ることができるのです。