佐藤康行の言葉をお伝えします。著者成功と幸福を呼ぶ言葉より
私たちは、物事を知識という観点から捉えると、完全を求めるのです。
しかし、そのかんぜんというのは自分が思う完全であって、他人から見れば、欠点だらけかもしれません。
自分が思う完全ということであっても、ほとんど全てのものに欠点があります。
知識から見ると、全てのものが、まだ足りないのです。
何を見ても欠点が見えてしまいます。
しかし、知恵という観点から捉えると、全てが完全なのです。
知恵というのは、自然に感じる心、天の言葉、インスピレーションであり本質なのです。
知恵から捉えると、自分の意思に対しては完全に生きているということになるのです。
自分では、己れの意志とは違う生き方をしていると感じている人も、心の奥の底では、今過ごしている生活を思い描いているのです。
こうなりたい、ああなりたいと、口では言っていても、現状が変わらず、不平・不満の生活を送っている人は、魂の底から願っている姿になりたいと思っていないのです。
魂の底から自分を高めていく努力をしていないので、行動も変わらず、現状も変わらないのです。
現状の生活は、どんな場合でも自分が思った通りの生活なのです。
自分の思ったことに対しては、完全なのです。
しかし、他人の思いもあるのです。
この世の中は、自分が思っていることと他人が思っていることが混じり合ってできているのです。
別の見方をすると、知ると信じる、ということについても同じことが言えます。
知るというのは、学んだ分量だけ自分で認めたことなのです。
知るということでは、永遠に満足することはできません。
常にもっと知りたいという欲がついてまわり、完全に知るということではないのです。
一方、信じるということは、全て完全なのだということを認めることなのです。
例えば、自分はAさんを知っているというのは、自分が見たり、話したり、感じたりした範囲で、Aさんを認めた、ということなのです。
どんなに親しく、長い時間Aさんと付き合っても、Aさんの全てを知り得ることはないのです。
なぜなら、自分はAさんではないからです。
しかし、自分はAさんを信じた、ということは、Aさんの全てを認めたことなのです。
ですから、Aさんが何を言おうと、何をしようと、自分の知らないところがたくさんあっても、全て初めから認めていることなのです。
Aさんの欠点も長所も含めて認めたということなのです。
知識や知るというのは、全て頭の世界の中のことなのです。
頭の世界では、どんなに深く追求していっても、完全ということはないのです。
全てに欠点があるのです。
知恵や信じるということは、心の世界、魂の世界なのです。
知恵や信じるということは、心の世界、魂の世界なのです。
知恵や信じるということは、全てが完全なのです。
全てのものを、ありのままに認めるということなのです。
知識や知ることでは全て欠点、知恵や信じることでは全て長所なのです。