1409.普通では見えないものを見る生き方

真我日記

佐藤康行の言葉をお伝えします。著者生き方教室より
私は、研修や講演などであらゆることを質問される場面が多い。

そのとき、どんな質問を受けても、考え込まないで即座に答えるのを見てみなさん非常に驚かれる。

なかには深刻な悩みや複雑な悩みを抱えていて、解決の糸口が欲しくて質問する人もいる。

そのようなときでも、私が瞬時に具体的な回答をするので、なおのこと驚かれるようである。

どんな訓練をして、そのようになったのですか、と尋ねられたこともしばしばある。

そんな時、私は特別、訓練はしていないが、意識を高めれば誰でもこのようになれると答えている。

例えば、山に登るとわかるのだが、山の中腹から見る風景と、頂上から見る風景は違う。
一番高い頂上から見ると、視野が開けて遠くの景色まで把握できる。

遠くにどんな色の屋根がどんな形で作られているかもわかる。

山の麓にいたときは、少ししか見えなかったものが、頂上に行けばもっと多くのものが視野に入ってくる。

意識が低いときはまだ麓、意識が高まると頂上の段階に達すると考えればわかりやすいだろう。

高い意識になれば、今まで見えなかったものが見えてくるのである。

これは、頭の善し悪しではない。頭や知識の世界ではないから、知っている知らないの問題ではない。

自分の知らないことでも答えられるのである。

世の中には、潜在能力開発をうたったいろいろな本がある。

これをひもとくと、記憶力を高めるとか、創造力を高めるとか、集中力を高めるなどといったメニューがあって、それぞれのメニューに応じたカリキュラムをこなして潜在能力を開発するようになっているようである。

だが、意識を高めるとそういった枝葉末説には囚われなくて済む。

集中力や創造力に対する意味が全く違ってくる。

全然違うところに創造力が働いたり、集中力が働いてきたりする。

自分の周りしか見ていなかったり、自分の会社しか見ていなかったりしていた場合、あるきっかけで目覚めて意識が高まれば、当然ものの見方や考え方が変わってくる。

例えば、月の裏側は普通の状態では見ることができない。

ロケットを飛ばして、月の裏側まで達すれば、裏側がどうなっているのか把握できる。

今まで、物事をホンの一面しか見ていなかったのが、ある日見えてくる。

そうなると、創造力や物に対する観点や価値観も当然変わってくる。

例えば、死ぬほど好きな人がいたとする。

好きな人を本気で好きになり、何とか自分の方に気持ちを向けさせたいと思うのならば、集中力が出てくる。

好きな人を獲得するのに成功して、一緒に過ごす光景を空想すると創造力も出てくる。

相手がどうしたら、喜んでくれるのかと、あれこれ考えるから企画力だって出てくる。

だから、一つのことに本当に真剣に取り組めば、一つの能力だけでなく様々な能力が自然に出てくるのである。

だから、本当に求める心があるのならば、能力や才能は必然的に後からついてくるということである。

人前で話をするとあがってしまうと、私に悩みを打ち明ける人がいるが、真剣な気持ちで人に自分の意思を伝えたいと思ったら、あがらなくなる。

あがるというのは、自分がどう見られるかという、小さな単位でしかものを考えていない証拠である。

本当に命懸けになれば、相手のことをまず考えるから、あがる、ということはなくなるのである。

私が主催する研修の参加者には、最初の自己紹介のあいさつのとき、緊張して人前でろくに話もできなかった人が、真我を体感した後、全然あがらなくなり、すらすら話ができるようになる。

この研修では、元々あった自分の深い心を言葉にして出す。

心を言葉にして出すと言う事は、本当にあるものをそのまま出すだけだから、あがりようがないのである。

そう考えるとテクニックで、あがらなくする方法は必要なくなるのではないだろうか。