1382.先祖の因縁を超越する生き方

真我日記

佐藤康行の言葉をお伝えします。著者生き方教室より
今の自分が白星になれば、先祖の因縁まで白星にすることができる。

たとえ、先祖にとんでもない人がいたとしても、今自分が生きているのは、先祖がいたからなのだから、そのことに心から感謝できると、因縁が白星に変わっていくのである。

「因縁」とはいったい何であるのかを考えてみよう。
「因」というのは、タネとも読む。
「縁」というのはエン。

桜の種や牡丹の種やチューリップの種からは、それぞれ桜と牡丹とチューリップにしか咲かないようになっている。

種の段階で将来どういう花が咲くのか、設計図が決まっているのだ。

それが「因」。因子。
これは先祖からいただいたものである。

しかし、この種は「縁」に恵まれなければ咲かないのだ。

種を机に置いたままにしても咲くことはできない。

土との縁。水との縁、太陽との縁、肥料との縁、あらゆる縁に恵まれて花が咲くのだ。

これらの縁に恵まれて初めて、この種が生きてくる。因子が生きてくるのだ。

人間も同じである。

人間も種と同様、先祖からいただいた性格という因子があるが、人と人との出会いによってその因が花に変わるのである。

だから、因縁はそれほど難しく考える必要はない。

とかく因縁は、悪いものとして捉えられる場合が多いが、悪い良いということが問題ではないのだ。

わかりやすく表現するならば、心の癖といってもいい。

例えば、親がガンになったら自分もガンになるとか、親が高血圧だったら自分も高血圧になる、などといわれている。

なぜ、そうなるかというと、親と子どもとでは性格が似ているからなのである。

ただ、それだけである。

性格が似ているから、同じような病気になるのだ。

因縁は生かすこともできるし、超越することもできる。

しかし、本当のことを知らなければそうはならない。

過去は自由に変えられるのだ。

過去の事実は変えられないが、事実がどうであったかは、本当は私たちにとって問題ではないのだ。

事実をどう受けとめるかが重要なのである。

例えば、あなたにとって気にくわない人がいたとする。

ふだん意地悪ばかりして、嫌な奴だと思っていても、後になってあの人の行為は実は愛だったのだと思えれば、全く別の見方に変わる。

事実が存在した、というのではなく、その事実が良かったか悪かったかが問題なのだ。

今まで悪い事実だと思っていたのが、よい事実だと思うことができれば、過去の体験は全部良かった、ということになるのである。