佐藤康行の言葉をお伝えします。
親鸞上人が、「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」といいました。
これは、善人でさえ救われるのに、悪人が救われないわけがない、という意味です。
親鸞上人は、悪人の方が救いやすいといっているわけです。
私たちは、普通、逆じゃないかと思っています。
しかし真実は反対なのです。
善人というのは、自分が正しいと思っています。
また他人からもいつも尊敬されたり、褒められたりしていますから、自分の正しさに自信を持っています。
ですから、それ以上は直しようがないのです。
反省がないのです。
ところが、悪人というのは、さんざん他人とぶつかったり、注意されたりしますから、自分が間違っている、自分が悪者なんだと思わざるをえないのです。
ですから、変えなければいけない、と自分でも思っています。
その分、あるとき、くるりと一回転していい方に気づく可能性があるのです。
大きく変わることがあるのです。
善悪というのは、そもそも人間が決めたことなのです。
天から観たら似たようなものなのです。
善悪などないのです。
せいぜい、大きいか小さいか、バレたかバレないかの差くらいなのです。
大して変わらないのです。
部屋が適当にきれいだとそうじしませんが、目茶苦茶に汚れていたら、それを見たらそうじをしたくなります。
人間の業(カルマ)も適当に小さいとなかなか気づかないのですが、大きいといろんな人とぶつかったり、たたかれたり、傷ついたり、苦しんだりしながら、ある日突然、大きく「あー、そうか!」と大きな気づきを得ることがあるのです。
エゴも愛なのです。
隣の人までは愛していないけれども、少なくとも自己は愛しているのです。
ただ狭いだけなのです。
その自己愛を広げていけばいいのです。
「愛国心」だから、戦争になったのです。
それが、「愛世界心」だったら 隣の国を奪う必要はないのです。
地球規模、宇宙規模と、より大きな観点で観ていくのです。
そのなかで調和されていることを自覚するのです。
そうすると、自分を愛することと、全体を愛することは、じつは一体だということに気づくのです。