1281.悪人の方が救いやすい理由とは?

真我日記

佐藤康行の言葉をお伝えします。

親鸞上人が、「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」といいました。

これは、善人でさえ救われるのに、悪人が救われないわけがない、という意味です。

親鸞上人は、悪人の方が救いやすいといっているわけです。

私たちは、普通、逆じゃないかと思っています。

しかし真実は反対なのです。

善人というのは、自分が正しいと思っています。

また他人からもいつも尊敬されたり、褒められたりしていますから、自分の正しさに自信を持っています。

ですから、それ以上は直しようがないのです。

反省がないのです。

ところが、悪人というのは、さんざん他人とぶつかったり、注意されたりしますから、自分が間違っている、自分が悪者なんだと思わざるをえないのです。

ですから、変えなければいけない、と自分でも思っています。

その分、あるとき、くるりと一回転していい方に気づく可能性があるのです。

大きく変わることがあるのです。

善悪というのは、そもそも人間が決めたことなのです。

天から観たら似たようなものなのです。

善悪などないのです。

せいぜい、大きいか小さいか、バレたかバレないかの差くらいなのです。

大して変わらないのです。

部屋が適当にきれいだとそうじしませんが、目茶苦茶に汚れていたら、それを見たらそうじをしたくなります。

人間の業(カルマ)も適当に小さいとなかなか気づかないのですが、大きいといろんな人とぶつかったり、たたかれたり、傷ついたり、苦しんだりしながら、ある日突然、大きく「あー、そうか!」と大きな気づきを得ることがあるのです。

エゴも愛なのです。

隣の人までは愛していないけれども、少なくとも自己は愛しているのです。

ただ狭いだけなのです。

その自己愛を広げていけばいいのです。

「愛国心」だから、戦争になったのです。

それが、「愛世界心」だったら 隣の国を奪う必要はないのです。

地球規模、宇宙規模と、より大きな観点で観ていくのです。

そのなかで調和されていることを自覚するのです。

そうすると、自分を愛することと、全体を愛することは、じつは一体だということに気づくのです。