838.本当の教育とは

こんにちは、佐藤康行です。

「教育」とよく言うが、この表現よりも意味合い的にはむしろ、「育教」の方が良いかのかもしれない。育てながら適切な助言や知識を与えていく。

教えて育てるのではなくて、子どもの様子を見ながら、育成を促がすように教えるというものである。

だから、教師も親も目上として子どもの上に立つのではなく、あくまで子どもの脇役なのだ。主役は、生命、命、宇宙の力、である。

これらを子どもに気づかせ、その子独自の個性を知り、その成長に沿って育てる命のプロデューサーなのである。

教師、親、先輩、周りの人たちも、子どもの脇役であると捉えた方がよいのだ。理想の人間像は、本当の自分に気がついた生き方をする人である。

だから、人によって理想の人間像というのは全部異なってきて当然である。また、本当の意味での聡明な人間は、本当の自分に気がつく人のことをいう。

バラの種、桜の種、牡丹の種などいろいろな植物の種がある。バラの種からはバラしか咲かない。桜も同様である。

どの種から、その花が咲くのかが既に決まっている。この種はこう咲くと決まっている事実に、気づかせてあげることが必要なのである。

いくら気がついても、自分が何をやっていいのか迷う可能性がある。そのときは、鏡で顔を見るような気持ちで心を見る。自分自身を反対側から客観視してみるのである。

例えば、こんな貧弱で小さい体で相撲取りになろうと思ってもなれない、といった具合に自分を客観視して、最も自分の特性が活かせるものは何かに、気づくことが大事なのである。

すでに先祖から受け継がれた心があるのだ。

赤ちゃんがオギャーと生まれた時点で、既にその子独特の性格がある。生まれたばかりの赤ちゃんでも、それぞれ顔が全部違うように、性格も全部違うのである。その違いにいち早く気づかせるのが、ほんとうの教育なのである。

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