佐藤康行の言葉をお伝えします。著者「悩み解決明快答」より
「あの人はわたしのことをこう思っているに違いない!」
「きっと、こう思われてるんだわ…ああ、だんだん腹がたってきた」
悩みにふりまわされているときは、ちょっとしたことが「妄想」を生みます。
そして、ありもしない思い込みをつくり、その思い込みがまた「妄想」をよぶ、といった悪循環がおきがちです。
まさに一人相撲状態で、勝手に相手への恨みが膨らんでいき、余計なエネルギーを消費します。
なぜこんなことが起きるのでしょうか。
この、なんとも厄介な暴れ馬、「妄想」という思い込みは、悩みの「実体」を見ようとしないためにおきることなのです。
「妄想」にとりつかれることがないように、悩みにしっかりと向き合うことが大切です。
思い込みは事実ではありませんので、悩みにきちんと向き合うことで、思い込みはパッと消えていきます。
では、向き合うとはどういうことでしょうか。
ものごとを正しく知るコツは、「近づく」ことと「離れる」ことにあります。
悩みもそうです。
「悩みに近づく」こと、「悩みから離れる」ことによって悩みに向き合う、これが、「近づく/離れる法則」です。
まずは「離れる法則」です。
たとえば、夫婦仲がうまくいっていないときは、試しにおもいきって別居してみるというのも一つの手です。
親子関係も同じです。
私は、お子さんが引きこもり状態にある母親の相談にのるなかで「ご両親が、その子の生活費だけを置いて家を出ていくぐらいのつもりになるというのはいかがでしょうか」ということを助言したことがあります。
もちろん、この方法がいいかどうかは状況によりけりですが。
離れてみることで、その人のありがたみが分かることもあります。物理的に離れることで精神的に近くなるということもありえるのです。
物理的に近くにいることだけが近づくことにはならないのです。
そして、「近づく法則」です。こちらの法則がより重要です。
「バカヤロー!なんて単純なミスをするんだ!真剣にやってんのか!」
部下のミスを上司がこっぴどく叱っています。
確かに、ミスの原因は完全に自分の落ち度。反論できずに、上司の叱責をただただ聞くだけです。
「ああ、もう分かったから、早くこのお説教、終わんないかなぁ…」
長い長い上司のお説教が終わり、帰りの電車の車中、
「あ~あ、今日は散々な日だったなぁ。でも部長が責任を負わなきゃなんないんだから、しかたないよな」
「きっと、トンデモない無能な部下を今頃嘆いているんだろうなぁ…」
つり革に体重をあずけるようにしてうな垂れるあなたの頭の中には「妄想」の渦巻きが、どんどん膨らみます。
「どうせオレなんか、お荷物社員なんだ。必要ないんだ。いっそクビにされたほうが楽だなあ…」
「明日会えば、またオレを、やっかい者扱いした目で見るんじゃないかなぁ」
「あ~あなんか会社に行きたくないなぁ」
もうとどまること知りません。
その頃、上司は
「ちょっと言い過ぎたかなぁ。彼なりにがんばってるしなぁ。なんだかんだ言っても、彼ほど頼りになる社員はいないしなぁ」
「もとはと言えば、私の指導不足だしな…」
なんて思っているかもしれないのです。
実は、上司は上司で
「きっと、私のことを目の上のたんこぶだって思っているんだろうなぁ…」
なんて想像して、お互い「妄想」を膨らましているかもしれません。
その時こそ、「近づく」のです。
腫れ物に触るように、上司の目を避けていたら、またまた「妄想」の嵐です。ますます近寄りがたくなります。
朝一番で、ちょっと勇気を出して
「部長、昨日はご迷惑おかけいたしました。ご指導ありがとうございました。つきましては、今後このように改善案をまとめてみたのですが…」
なんてタイミングで近寄ったら
「おお、飲み込みが早いじゃないか。いい改善案だね。期待しているよ」
なんて快く言われるかもしれません。
その瞬間に、あなたの「妄想」は、一瞬できれいに消え去ってしまうでしょう。
それどころか、
「ああ、なんて良い上司なんだろう!昨夜はうらんでしまってごめんなさい」
「実は私のことを思って叱ってくれたんだなぁ。ありがたいなぁ」
と、上司の良いところを発見できて、感謝の気持ちが湧き上がってくるかも知れません。
当然上司の心も晴れて、いらぬ「妄想」を膨らませることもなくなるでしょう。
とにかく、行動です。
もっと言うと、仮に、勇気を出して上司に近づいて出した提案に
「なんだこれは。まったくお前は分かってないな!昨日も言っただろ!なんて駄目なんだ!」
なんて言われたとしても、本当にそう思っていた、という「実体」が見えたほうがいいのです。
そこからスタートして、では、何が駄目なのか、どうしたら良いのか、とことん話し合ってもいいし、またそうしたほうが自分も腹が据わります。
本当は、そう思われていなかったのに、勝手に自分の頭の中で決め付けて、ひとり悶々と悩んでいるより数段ましです。
「実体」を見る、ということを、富士山を例にとってみましょう。
あなたは富士山のことをよく知りたいと思っています。
まず、あなたは富士山を遠くから眺めてみました。
すると、「あれが富士山か。大きい山だなあ。きれいだなあ」と富士山を見ることができます。
しかし、遠くから眺めると、青く大きな富士山の姿が見えるけれど、地表はどうなっているか、どんな植物が生えているかといった細部は見えません。
そこで、細部を見るために、当然近くまで行ってみることをします。
そうすれば、富士山の地表や、花や植物、どんな空気なのか、細部にわたって知ることができます。
逆に初めから富士山の山中にいる場合はどうでしょうか。
山中にいるときは、そこが本当に富士山の中なのかどうかさえ、分からないかもしれません。近すぎて分からなくなっているのです。
そんなときは、いったん離れてみることも大切です。
離れてみたときに「ああやっぱり今までいた山は富士山だったんだ」と分かります。
もし富士山でなければ「あの山は富士山ではなかった。違う山だった」と答えがハッキリ出ます。
このように遠くから眺めることによっても、理解を深めることができます。
「近づく/離れる」ことの目的は、正確に悩みの「実体」を認識することにあります。
感情的な争いをするために悩みに「近づき」、悩みから逃げ出すために「離れる」わけではありません。
悩みに近づくのは、冷静に悩みの状況をつかむためです。
悩みから離れるのは、悩みにむやみに振り回されることなく、正面から悩みに向き合うためです。
その場の感情にしたがって、「近づく/離れる」をしてはよくありません。
むしろ、あえて感情が訴える方向とは逆の方向に行くほうがよいかもしれません。投げやりにこの法則を使ってはいけないのです。
きちんと悩みに向き合うための行動であるという点では、近づくことも離れることも、その本質は同じです。
ただ、悩んでいるだけでは、悩みは解決しません。
しかし、悩んでいるときは、ただただ悩んでしまいます。
そのとき、悩んでいる状態から抜け出す手がかり、悩みの解決を目指して行動する手がかりが必要です。
悩んでるときは、じっとしていないことです。
じっとしている時にじっとしていないのが「頭」なのです。「頭」に勝手な「妄想」を膨らませないこと。
行動先行。
そして、その手がかりこそ、「近づく/離れる法則」です。
悩んだら、とりあえず「近づいて/離れて」みる。
それが悩み解決の第一歩になります。