写真はビーフカレーです。カレーも甘口で美味しかったです。
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佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。
【原点は親にある】===========
我々は、ともすると根本的なこと、大事なことを忘れる場合があります。
しかし、我々が人生を生きていく上で決して忘れてはいけないことがあると思います。
両親の問題は、その典型的なものの一つです。
私も実は大きな壁にぶつかったことがあります。
大きな壁にぶつかった時に、心は本当に芯から荒みました。
心が総てマイナス思考になったのです。
その時に、ある方が私に「お父さんに電話をして、お母さんのお墓参りに行っては」とアドバイスをしてくれたのです。
私はその時、事業と何の関係があるのだろうと思いましたが、試しに父に電話してみたのです。
そうすると、不思議に心がスーッと楽になったのです。
「これは何かあるな」と思って、すぐに飛行機に飛び乗り、北海道に行き、母のお墓参りをしました。
そうしたら、不思議と力が湧いてきたのです。
それが私が立ち直るきっかけになったできごとです。
その時、親の問題と自分の人生の問題とは関係があるのだと、はっきりとわかったのです。
私の体験から感じたのです。
理論を人から聞いたのではありません。
自分が命がけで体験して味わったのです。
この話は体験談の中からの話であるので非常に説得力があると思います。
実は、私は中学二年の時に母を亡くしました。
一番多感な時に母を亡くすということは大変なことでした。
私は三日三晩泣きました。
私の母は、動物的な愛情を持った人でした。
私が病気になろうものなら、もう大変でした。
母は一生懸命看病して、貧乏なのに私の好きなものを買ってくれたのです。
だから、私は逆に病気なりたくて仕方がなかったのです。
その母の優しさは忘れることができません。
でも今考えると、母が亡くなったことによって早く社会に出て一人前になろうという気持ちが一段と強まったのです。
田舎に居ても母もいないし、楽しくない。
だから、私は東京に出てきたのです。
皿洗いをしながら、定時制の高校へ通いました。母が亡くなったことで、俺がやらねば……という気持ちになったのです。
それから社会に出て、二十三歳の時に宝石のセールスマンをやりました。
独立資金を稼ぐためでした。
そして、だいぶ一人前になってきた時に北海道から電話がかかってきました。
私の実家の火事だと。私は慌てて飛行機で飛んで帰りました。
そうしたら、私の家はもう灰になってなくなってました。
祖母は焼け死んでしまいました。父も髪の毛が焼けていました。
あの強気な父が泣いているのです。
私は貯金を全部おろし、帰りの飛行機賃を残して全部渡してきました。
そして祖母の葬式の時、泣きながら、「ああ俺の帰る家はないのだ」とはっきりと思ったものです。
悲しい半面、私は末っ子ながらやら「なければならない」という気持ちでいっぱいでした。
そして、私の気持ちはメラメラ燃えたのです。....
明日に続きます。
ストーリーの続きをお楽しみに。