2062.満月理論32

真我日記

 

写真はハンバーグステーキと野菜炒めです。

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佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。

【佐藤先生の講話 「もともと完璧」からとらえる】==============================

みなさんは人生をよりよくしたい、素晴らしくしたい、そして、悪いと思われることを解決したい、そして解決して、ああよかったと……そうなりたいと思っていることでしょう。

 

ここで質問です。次の(1)と(2)のどちらがいいでしょうか?

 

(1)悪いと思われることが良くなることがいい

(2)悪いと思われることが良いとしか思えなくなることがいい

 

(1)の場合、悪いと思われることが良くなったとしても、また悪くなる可能性がありますよね。

 

しかし(2)は、悪いと思われることがもう良いことにしか思えないということです。

 

それがたとえ悪くても良いとしか思えないわけですから、もう悪いと思えない、もう悪いほうには戻らない、悪いほうに戻りようがないことになります。

 

例えば、この悪いことや日常での苦しみというものの中に、無意識に「人と比べて苦しんでしまう」ということがありますね。

 

人と比べて生活水準が低いから苦しんだり、人間関係でみんなはうまくいっているのに私だけうまくいかないと苦しみ、落ち込んだり……、コンプレックスもそうですね。

 

真我はみんな平等で同じだとわかっていても、あの人はあんなに開いてあんなに気づいたのに私はそこまでなっていないとか、人と比べて落ち込んでしまうこともないとは限りません。

 

冒頭の質問の(2)悪いことも良いこととしか思えなくなる、というこの観点でいくなら、人と比べることで苦しんだとしても、それでOKと言えると思えませんか。

 

もっと言うなら、人と比べること自体全然OKとなりますよ。

 

なぜなら、人と比べて自分が劣っていると思えることも良いことだと思えるからです。

 

人と比べる=「悪いこと」は良いことだと心から思えれば、それで落ち込むことはありません

 

私が「完璧愛ポスト」というツールとそのワークを編み出していることを、みなさんはご存知でしょうか?

 

このツールとワークの発想は本当に誰にも出せない、真似できないものだと思っています。

 

その発想とは「人は完全、完璧という観点からみる」というとらえ方、発想です

 

この観点でいくと、悪いことが良いとしか思えなくなっていきます。

 

先ほどの悪いことだった「人と比べること」が、そのことによって自分のやることが明確になったり、また謙虚になれたりすることがわかってきます。

 

悪いこととして悩んでいたことが、ワークをしているうちに良いことだと気づけてくるわけです。

 

普通私たちは、自分が不完全でダメな人間で、だから自分を鍛えて、また勉強していって、そして立派になろうとしていますよね。

 

その「立派」とはどういう状態のことなのでしょうか。

 

極致、たどり着くところはどこでしょう。

 

では、世の達人と呼ばれている人が、その極致に達しているのでしょうか。

 

世間からも離れ、修行や勉強を続けて人間的極致に達して立派になって、もうこれ以上ないというところに達したといえる人がいますか?

 

私の発想はそれとはまったく逆です。

 

「あなたは、もともともう極致に達している。もう完璧、問題ない」というものです。

 

マジックミラーの法則、2日間のカリキュラムで、「真我からみた○○」それは真我の世界からみるという、みなさんは真我を体感し、まさに真我、完全、完璧からみることを経験しています。

 

真我でなければ真我から見ることはできません。

 

あなたは真我で完全で完璧なのです。

 

ここまで