1790.カウンセリングのエキス

真我日記

写真は焼き鳥丼です。職場近くのランチ弁当です。いろんな鶏肉が入っていて美味でした。

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佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。

佐藤先生:
営業であろうが経営であろうが先生であろうが、みんな同じです。
お客さん求めているものを知って、求めているものに合わせたような話をしていったら、
人は興味持つわけです。

こちらで何かを売り込むことだけを考えたら、一方通行ですから、
たまたま的にはまらない限りは、うまく成立しません。

でも、「相手が求めているものに対して私は応えますよ」というように話をもっていったら、話はどんな人も聞いてくれるでしょう。
求めてるんだから。全部そうでしょう?
相手の話を引き出していくということで、
何を求めてるのか、何を悩んでるのかってことが分かってくる。
それに対して応えていく。

このカウンセリングをやったのは、「このことで悩んでるんだ」って言うでしょう?
普通は、まずそこまでは同じですよね。

でも、そこに「こうだ」って答えちゃったら、その人じゃないのに、責任持てないでしょう?
その人の人生に対して。

「夫にこうしなさい」「妻こうしなさい」なんて、
会ったこともないのに、見たこともないのに。

また、全然性格が分かりはしないのに、
そんなことアドバイスなんか通じるわけがないんです。
だから、目くらめっぽうっていうことです。

でも、この真我は違うんです。

真我は愛であり、宇宙だから、これは全部に通じるんです。

全部に通じる。
それもなおかつ相手の言ったことに対してのオウム返しですから。
ですから、全く問題ないわけ。

そして、相手が素晴らしいと。
相手が素晴らしい、無限の力があるんだ、無限の愛があるんだという前提で話をするわけだから。

そんなありがたい人いないよね。
そんなふうにして前提として来るような人がいたら。
それで嫌な気を起こす人いますかね。

「あなたには無限の愛があるんですよ、無限の力があるんですよ、
あなたは素晴らしいんですよ」ということを前提にしながら会話をする。

どうでしょうか。
もし本当にそこまでなれたら、そういう人をどう思います?

自分がお客さんの立場だったら。
「あなたは無限の愛があって、無限の力があって、素晴らしいんだ」という大前提のもとで、
そういうものがにじみ出て話されたら自分だったらどう思うかということです。

佐藤先生:
よく「受ける」って言うじゃないですか。
「相手から変な気を受ける」とかね。
だから、そうならないために、「真我の鏡返し」ってあるんです。
「真我の鏡返し」って、光でお返しする。

皆さんが、いろいろ悩んで、最初来たでしょ?
しかし、真我が開いた瞬間、パッとそれが消えたでしょ?
そして「ああ。全部愛だったんだ」と気づいたでしょ?

だから、全部愛であり、みんな真我なんだから、
そのまんま真我でオウム返しできたら、本当はいいわけです。
それは、もともとみんなそうなんです。

例えば彼が、「女房がこうだ、こうだ」と。
「ああ。奥さんをすごく愛してらっしゃるんですね」。
一生懸命文句言ってるのに、「愛してらっしゃるんですね」と言ったら、
「聞いてくれてんのかな」って思うよね。
でも、その時に、「えっ?」「だって、そこまで真剣に考えてらっしゃるんだから」って言えば。
そうしたら、「ああ。そうなのかな」って思えてくるでしょ?
「ああ。愛してるんだ」とかって思ってくる。
これを「真我の鏡返し」って言うんです。

怒ってるのに、
「素晴らしいですね。そこまで真剣に考えてらっしゃるんですね」っていうふうにね。

例えば、相手がさんざん誰かの悪口を言ったら、
その悪口をそのまんま受けていったら、あなた、具合悪くなるでしょ?
自分は言われてないのに、人の悪口聞くのは、決してね。
その時合わしてるようには見えて、決してその人を尊敬しないでしょ?
いくら「もっともだ」と思っても、絶対その人は尊敬できないはずです。

でも、言った方も後味悪いんです。
言われた方も後味悪い。
言ってる方も、「あんなこと言うんじゃなかった」となるでしょ?
誰にも相談できないってのはそういうことなんです。

相談したら、相手も気分悪くさせちゃうし、
なおかつ「そういう人間だ」と思われるのも嫌だし。

その言葉じりをつかまえて、
「ああ。夫婦仲、悪いんだ」「あの家庭は、夫婦は仲悪いんだ」って、
どっかで言われたら、たまったもんじゃないよね。
「安心して相談なんかできやしない」ってなっちゃう。

そんなこと言いたいんじゃないのに。
「愛してるから言いたいんだ」とかね。
「こんなに思ってるから言いたいんだ。そこんところを分かってほしい」と思うでしょう?

そこを分かってあげれたら素晴らしいと思わないですか?
その奥を見抜いてあげる。
それを「真我の鏡返し」って言うんです。

これまでは、言葉、心を闇としたら、普通に、闇を闇のままお返ししただけなんです。
闇でも分かってくれたら、これだけ嬉しいんです。
闇でも、そのまんまオウム返ししたら、それだけでも嬉しいんです。

例えば、誰かが夫の悪口を言ってるとしたら、
最初は「ああ。それは大変ですね」って、
一応その人の味方になるように理解してあげると、
「ああ。分かってくれた」って安心するでしょ?

でも、そのまんま夫の悪口を一緒に言われたらどうですか?
だんだん、だんだん腹立ってくるでしょう?
そういう仕組みになってるんです、人間は。
それを「分かってくれた」なんて思わない。

最初はね、その言ってることは分かってくれたけど。
でも必ず「ああ、それだけ真剣に思ってらっしゃるんですね」
という方向に向けていかなければ、
悪口を一緒に言ってたら、だんだん、だんだん腹立ってきますよ。

だから、必ず愛の方に向けていかなきゃならない。
必ず話は愛の方に向けていかなきゃ。

ここで、相手が闇で言ってきても、光で返す方向に向けていくんです。
最初は闇で受け取ってもいいんです。
「あ、こんなことで悩んでらっしゃるんですね」って。
そのまんま、「こういうことだったんですね」
「こういう嫌なことがあったんですね」って返す。

でも、必ず「それだけ愛してらっしゃるんですね」とか、
「それだけ思われてるんですね」とか、
「手をあげるほど真剣にあれしてるんですね」っていうふうに、
何とかして愛の方に向けていくようにするんです。

それは皆さんの意思の力で。
もう、本当は愛しかないから。
本当は愛しかないんです。
本当は真我しかないんだから。

だから、鏡に映したら、本当は自分の顔なんだけど、
神様の顔に見えたら素晴らしいでしょう?

愛そのものの顔に見えたら。

でも、愛そのものであり、神の顔なんですよ、ほんとは。
だから、そのようにして、そちらの方をお返しするんです。

やはり、佐藤先生の講話には、カウンセリングのエキスがぎっしりですね。

明日さらに見ていきます。