1774.こんな落とし穴があったとは

真我日記

写真はインドカレーのバターチキンとほうれん草です。ここはカレーもナンもとても美味しいです。
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佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。
人とは「愛されたい、認められたい、分かってもらいたい」と思って、
あらゆる言動、行動を行うものである、
と心のドクター佐藤康行先生は言われます。

人がその思いを回りの人に求めてしまうと、全てにおいて他人の行動、言動に依存し、
それに振り回されてしまう可能性があるということになります。

このことは、過去の記憶として刻まれた出来事に緋づく感情、
特にマイナス感情の根幹がどこにあるのかを、明確に示しています。

「父親のあの行動は、自分のことをわかってくれていないからだ」
「母親のあの言動は、自分のことを愛してくれていないからだ」
「あの先生の言葉は、自分のことを認めてくれていないからだ」

ゆえに、恨む、憎む、妬む、嫉妬する…..というように。

人は誰でもこのような
「自分のことを分かって欲しい」という心の欲求を持っていることを
念頭においておくことは重要です。

当然、カウンセリングを行う際の相談者も、例外ではありません。
しかし、カウンセラーも例外ではないのです。

対人関係で、自分も相手もお互いに「分かって欲しい」と思っていたら、どうでしょうか?

お互いが「欲しい、くれくれ」では、どちらも満たされません。
「くれくれ」と言っている人に、「あげる」と言ったら、状況は一変します。
「くれくれ」と言っている人は、その瞬間に満たされます。

「分かって欲しい」の思いが交錯する分かりやすい例があります。

例えば、
「うちの旦那、私の言うことなんか全く聞かないのよ」という奥さんに対して、
反対にご主人は、
「うちの女房は、俺の言う事は、全然聞かないんだぜ」と言ったりするケースがあります。

お互い話を聞いてもらいたいのに、聞けていないというのです。

実はここに重要なポイントが潜んでいます。

人と人のコミニュケーションは、通常、言葉による会話で行われます。
「目は口ほどに物を言う」はひとまず、横に置いておきます。

「人の言動は、愛を求める叫び」ですから、
話すこと自体は、「分かってもらいたい」行為となります。

その会話で、「分かってもらえた」と感じることができれば、ハッピーです。

では、あなたが話をする際に、相手がどうしてくれたら、分かってくれたと思えるのでしょうか?

あなたの言うことに真剣に耳を傾け、うなずいて、対峙してくれたらどうでしょうか?
さらにあなたの言う事、その思いを相手の口から返してもらえたらどうでしょうか?

「あーこの人は、私のことを分かってくれた!」と感じることでしょう。

「くれくれ」と言って、「もらえた!」となるわけです。

これで、人間関係がスムースに行くはずなのですが、ここに難敵が潜んでいるのです。

それは、人は相手の話を聞くことができないのです。

相手が何かを言うと、それに自分の心が反応して、言葉が湧き上がってきます。

「そんなもんなのかな~」
「それはちょっと違うだろ~」
「うん、そうそう、そう思う」
「また、同じ話~、もうあきたのに」
「ちょっと、こっちは忙しいんだから、早く終ってよ」

どうでしょうか?

私たちは、人の話を聞いているのではなく、自分の声を聞いているのです。

心のドクター佐藤康行先生が、講話をする場面でこのように言われることがあります。
「今、私の話を聴いている人はいません。
皆さんは、私の話をきっかけに、自分から湧き上がってきた自分の思いを聞いています。
私の話があなたの耳に入った瞬間に、自分の価値観で判断し、自分の考えになってしまうのです。
だから、私の話ではなく、自分の考えを聞いているのです。」

ゆえに、人の話をまともに聞くことがとても難しいと言うわけです。

カウンセリング時に、この心の作用が出てくると、どうなってしまうのでしょうか?

ついつい、相談者に対して、言ってしまうのです、自分の思いや意見、アドバイスを。
その瞬間相談者はどのように感じるかと言えば、「分かってもらえていない」となります。

カウンセラーが何気なくやってしまいがちな、
自分の思いや意見、アドバイスを相談者に言うことが、
実は、自分の「分かって欲しい」という心から来ているということなのです。

ここのところはカウンセリングの基本中の基本でありながら、
とても重要でかつ習得が難しいところでもあります。

それは、これまでの自分の心の習慣の流れを180度変える必要があるからです。

心のドクター佐藤康行先生の神技カウンセリングの急所を見ていく上で、
絶対にはずせないこれらのポイントを、
さらに実践的に見ていきます。