1515.与えよさらば与えられん

真我日記

佐藤康行の言葉をお伝えします。著者生命の覚醒より
「求めよ、さらば与えられん。与えよ、さらば与えられん」という言葉があります。

私たちには、本当の自分の生き方を求める強い気持ちが必要なのです。

自分は何をやるべきなのか、自分の本来の役割は何なのか、そして、どんな人生が一番自分にとってふさわしいのか、そういったことを強烈に求める気持ちが大事なのです。

そしてその求める気持ちと同時に、与える心が大事になってくるのです。

自分の手も足も目も口も、まわりの総ての人たちのためにあるんだ、そのために私の体は五体そろっているんだと心から思え、まわりの人たちに奉仕をし、与えることができた時に、私たちの身の回りに奇跡ともいえる驚くようなことが次々と起きてくるのです。

そして、仕事にしろ人間関係にしろ、あらゆるものがスムーズに進んでいくことができるのです。

求めるばかり、得ようとするばかりだと、必ず行き詰まっていくのです。

介護福祉専門学校に通っていた柳沢克義さん(47・仮名)は、就職活動に臨んでいました。

社会経験の長い彼の希望は、「安定した大きな所」でした。

そして、学校の主催する就職説明会にも、大きな事業体の説明会を中心に出席していました。

ところが、いざ彼が説明会場に出席をすると、どの事業体からも判で押したように、「四十歳以上は正社員としては採りません」といわれてしまったのです。

しかし、彼は決して落ち込みませんでした。

「以前の私なら本当にがっかりしていたと思いますよ。

でもその時がっかりしなくても済んだのは、『真我でやっていれば間違いはない。絶対大丈夫。必ずいい方向に行く』という気持ちがあったからです。

そして、『自分に合ったところがきっと与えられる。もし、与えられなかったら、今はまだ時期じゃないんだ』と思えたんです。

その時、私の中にあった『大きな所に就職したい』という思いがスポンと抜けました。

そうしたら、午後の説明会で、施設のうち一ヶ所から『うちに来てくれないか』といわれたんです。

初めて会ったのにそんなふうにいってくれて。そこがまたキリスト教の関係の所で、仕事の中でも礼拝があったりするんです。

私はキリスト教の信者ではありませんが、そんなふうに“神”というものに関わりのある所から声をかけていただいて、本当に嬉しいです。

私が、『大きな所に就職したい』という思いを捨てた時、空っぽになった私の中に、一番ふさわしい所からの話がはまったんです。

おととしの秋から、真我を開こうと講座を受け続けてきて、本当に良かったと思います」