1447.自分は正しいと思った時から間違いが始まる

真我日記

佐藤康行の言葉をお伝えします。著者成功と幸福を呼ぶ言葉より
私は、自分の考えに信念を持っています。

ですから、どうしても自分は正しいという気持ちが強くなってしまいます。

ある時、書物の中に「自分が正しいと思った時から間違いが始まる」という言葉を見つけガーンと頭を殴られたような思いをしたことがありました。

ああ、私の欠点はこれだと思いました。

世の中を見回すと、争いごとをしている人のほとんどが、自分こそ正義だと思っている人々です。

自分の正当性を主張しています。

自分が正しい、と大騒ぎして、こちらが正しい、いやこちらの方が正しいと喧嘩になるのです。

この最たるものが、宗教戦争というものです。

では、どうしたらよいのでしょう。

それは、相手を認める心を持つことなのです。

相手を包み込む愛を持つことなのです。

しかし、これがなかなか難しい問題で、人類の永遠の課題のようです。

親鸞上人や、イエス・キリストも同じような教えを説いています。

それは、牢獄に入っている罪人とそれを監視している監視人とでは、いったいどちらがよい人で、どちらが悪い人か、という問答なのです。

人間の世界では、牢獄に入っている罪人の方が悪い、ということになります。

しかし、神様というか、天から見れば人間は皆、似たようなものなのです。

していることが小さいか、大きいか、ばれたか、ばれないか、の違いだけなのです。

ほとんど同じなのです。

監視している人がどれだけ素晴らしくて正しいのか、また牢に入っている人がどれだけ劣悪で間違っているのかを比べてみれば、ほとんど同じようなもので、問題外なのです。

そんなことよりも、人間が人間を裁いていることが、一番よくないのです。

自分が正しいと思ってしまった瞬間に間違いが始まるのです。

自分が正しいと思ってしまった瞬間に壁ができるのです

これが理解できていないために、多くの人が悩んだり、争ったりしているのです。

なぜ、包み込めないのか。

なぜ、相手の立場を理解する心が持てないのか。

知っていてもなかなかできません。

私たちの永遠の課題だと思います。

私も、相手を認め、包み込める心を持ち続けたいと思っています。