947.意識の高い人間が富者になっていく

真我日記

佐藤康行の言葉をお伝えします。「意識の高い人間が富者になっていく」

についてです。

経済が成り立たないと、

人間は食べていけないといいますが、

たとえば泥棒をして食べていく人と、

人の役に立って食べていく人がいます。

しかし、経済が成り立たないと

食べていけないというとらえ方は、

泥棒をやらないと食べていけない

という考え方になってしまいます。

泥棒も正直者も、

どちらも食べていること

に変わりはないというの

が意識の世界なのです。

要は、どういう意識で

ものごとをやるか、

いわばどのように凧の糸を

操るかということです。

それが意識の主体性を

もつということです。

よく人のお役に立たないと

お金がもらえず、食べていけない

のではないかといいますが、

そんなことはありません。

人を欺してでも金儲けをして

食べている人は沢山います。

いや、詐欺師的な金儲けをして

食べている人は、いままで多いのです。

ずる賢い人間がいかに

金持ちになっているか、

思い当たることは多いはずです。

むしろ、こちらのほうが

多いともいえなくもありません。

過去、人を騙して金儲けを

してきたような詐欺的商法は、

じつは、人のお役に立つためといって、

多くの人から大金を

集めてきたのじゃありませんか。

「私は世のため人のため、

世界平和のためにやっているんです」

といういい方は反社会的組織でさえ

堂々と言うくらいです。

任侠や仁義という言葉は、

そのための素晴らしい言葉なんです。

仁義とは弱きを助け、

強きをくじくという孔子から出た

素晴らしい言葉ですが、

いまや反社会的組織の世界で巧みに

取り入れられてしまいました。

いまの社会はずる賢い人間が

豊かになっている世界です。

人の役に立つためにといって、

ひと山当てようと金儲けを

企てている人間は、

私にいわせればずる賢い人間です。

たしかに当たりもするでしょうが、

やる前に、はたしてそれは

地球のために当たることがいいのか、

人類のために当たることが

いいのかとは考えないでしょう。

日本経済がここまでなったのも、

ある意味ではずる賢い部分が

あったといえなくもありません。

だからこそ、

意識を変えていかなければ

いけないのです。

それは、ずる賢いという

とらえ方よりも、

ものごとを部分的にしか

見ていないというとらえ方です。

そうして我欲による

金儲けに走るとバブルとなります。

当然の結果として

バブルははじけたのです。

バブルがはじけたというのは、

神の裁きでもあるのです。

資本主義というシステムは、

お金をもっている人間こそ

すべてだという社会体制です。

金持ちこそ勝者であり、

正義だとみなします。

私はそれが問題だといいたいのです。

金銭至上主義は、人間の欲望を

むきだしにした競争を是とします。

「人間は平等だ」とは建て前であって、

金銭次第でさまざまな考えが

ねじ曲げられています。

命よりも金銭の方が優先される社会は、

決して住みよい社会ではありません。