2122.満月理論92

真我日記

写真は愛媛で食べた天ぷら御膳です。素材の味が生きていて美味しかったです。

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佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。

【手も足も口も耳も人のためにある】===========

 

私たちは苦しんだり、悲しんだりすることによって、逆に喜びが大きくなるということがあります。

 

私の所に、苦しんで苦しんで、もがいて来る人というのは、目覚めた時にすごく喜んでくれます。

 

逆にあまり苦しんでいない人は、「まあ、確かに良かったよね」くらいで終わってしまう場合もあります。

 

そうすると、喜びをそれだけ増すために、苦しんだという捉え方もできます。

 

究極の喜びというのは、自己の内にある真我の世界を生き切るということです。

 

そこは究極の歓喜の世界です。

 

そういうように神様は与えてくれていると、私は受け止めています。

 

ですから、当然ご飯を食べたら美味しく感じます。

 

異性と出会ったら素晴らしいと感じます。

 

全て喜んで生きられます。

 

その喜びというのは、何か欲しいモノを手に入れたという喜びではなく、私たちに内在している神の心、愛そのものに目覚める喜びなのです。

 

私たちの手や足や口や耳は、自分のためではなく、全部まわりの人のためにある、言葉も表情も全てまわりの人のためにあると思えたら、矛盾がなくなるのです。

 

「自分のこと、自分のこと…」というと、エゴになります。

 

人のお役に立ちなさいと教えられて、「人のため、人のため」というと、今度は嘘になります。

 

そういいながら、本当は心の中は全然違っている場合が多いのです。

 

しかし、私たちが本当に愛そのものになって、光そのものになったら、自然と手も足も口も耳も人のためにあると思えるようになるのです。

 

そもそも人のために口はあるのです。

 

自分一人だけだったら、喋る必要はないのです。

 

相手のためと思うと、言葉も手も必要になってきます。

 

普通はどうしても見返りを求めてしまいます。

 

そうすると、返って来ない時に腹が立って来ます。

 

「こんなにしてあげたのに、あの人は何もしてくれない」ということになってしまいます。

 

そうではなくて、自分がやっていること、それ自体が喜びになったら、本当に楽なのです。

 

ものすごく楽で、そして、ものすごく幸せに生きられるのです。

 

(『生命の覚醒』日新報道)