1764.心のしくみ2

真我日記

写真は鮭のちゃんちゃん焼きです。味噌味が絶妙にマッチして最高でした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

佐藤康行(YS)メソッドをお伝えします。

頭の記憶よりももっと深いところに内在している心、それが二つ目の記憶です。

それを「遺伝子の記憶」と「魂の記憶」と「細胞の記憶」とによってできている記憶と捉えています。

私たちの人生は、これらの記憶によってほぼ決定付けられると言っても過言ではありません。

「遺伝子の記憶」とは、遺伝子に刻み込まれた先祖から受け継いだ記憶のことです。

私たちが両親や祖父母に顔や性格まで似ているのは、遺伝子を引き継いでいるからです。

スポーツマンの子どもは大体スポーツマンであるし、歌手の子どもはやはり唄が上手い。

ガンの家系の人は、ガンになって亡くなる可能性が高いものです。

生まれた時から、私たちは遺伝子の記憶を持っており、
それによって人生のかなりの部分は決定されているのです。

しかし、私たちが生まれてくる時に背負っているのは「遺伝子の記憶」だけではありません。

そこにさらに前世の記憶が折り重なって生まれてくると言われています。

これを私は「魂の記憶」と呼んでいます。

以前、私の所に訪ねて来た二十代の女性から、こんな相談を受けたことがあります。

「先生、助けてください。私、彼に殺されそうなんです!」
びっくりして、どういうことなのか訊ねたら、前世でも彼氏とは深い関係にあり、
どういうわけかその彼氏を殺してしまったと言うのです。

もちろんその真偽のほどは確かめようもありませんが、
彼女は前世の記憶を本気で信じて、その記憶によって怯えているのです。

今の話はかなり極端な例ですが、
しかし、人は少なくとも深層意識の中では、前世の記憶が根付いていて、
その記憶によって人生を左右されることがあるのです。

「遺伝子の記憶」と「魂の記憶」は生まれた時には既に持っていますが、
生まれた後から体に刻まれる記憶があります。

それが「細胞の記憶」です。

頭では完全に忘れてしまっている体験も、実は私たちの体は何一つ忘れていないのです。

“三つ子の魂百までも”と言われるように、
どんな些細な体験も、体はちゃんと覚えているのです。

子どもの頃、父親から暴力を振るわれた経験のある女性は、
大人になっても男性恐怖症になり、なかなか結婚願望が湧いてきません。

また結婚したとしても、夫のことを心から許せなかったりするのです。

この前、こんな悩みを持っている四十代の女性がいました。

「ふとした時に突然『お前なんか死んでしまえ!』という声が聞こえてくるんです」

「何か思い当たる所はあるの?」と訊ねても、
彼女は「どうしてそんな声が聞こえてくるのか全く見当がつかないんです」と
言っていました。

この原因は、彼女のお母さんに会った時にわかりました。

お母さんは私にこう打ち明けてくれました。

「あれは私が悪いんです。あの娘がお腹の中にいた時に、
『この子さえいなくなってくれたら、私はこの家から出られるのに』と
いつも思っていたんです。
その私の思いがあの娘に伝わってしまったんです。
本当に可哀相なことをしてしまいました…」

彼女がまだ胎児の頃、
「この子さえいなくなってくれたらいいのに…」と思っていた母親の思いが伝わっていて、
何とその記憶が細胞に染み付き、四十歳を過ぎた今でも忘れてはいなかったのです!

胎教という言葉がありますが、恐ろしいくらいに私たちは何もかも覚えているのです。

何も幼児体験だけではありません。

大人になってからでも、強烈な体験をすると、
その記憶は消そうとしても決して消せるものではありません。

例えば強姦されたことのある女性は、一生性的に不能になってしまう場合があります。

どんなに優しい男性と出会っても、いざとなるとその男性に身を任せられなくなります。

また、人に騙される経験があると、
いざと言う時にどうしても人を信じることができなくなってしまいます。

こういう心の状態を、心理学的にはトラウマと言いますが、
これは通常、一生かかっても消せないものなのです。

この「遺伝子の記憶」と「魂の記憶」そして「細胞の記憶」こそが、
私たちの中から自然と湧き出てくる思いの正体なのです。

これらの記憶から出てくる思いが、まさしく私たちの現実を創造しているのです。

ここまで=========================

この2つ目の記憶に眠る記憶量は膨大で根深いものですから、
少しばかり頭にプラス思考や良いと思われる知識を蓄えたくらいでは、
本当の思いは決して変わらないということなのです。

この2つ目の記憶層があらゆる現実の根本の原因となっているところであって、
うつ病や、心の病などの本当の原因はここにある、
といっても過言ではないというわけです。

あすは、いよいよ3つ目の記憶です。