1721.事実とは関係なく幸せと思える心があれば幸せ

真我日記

写真はそぼろ厚揚げ丼を作りました。結構自信作です。
佐藤先生の言葉をお伝えします。著書たった二日でまんまるより

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「幸せだ」「不幸せだ」と言いますが、その基準はあるのでしょうか。あなたは基準があると思いますか、それともないと思いますか。

昇進できたら幸せ、左遷やリストラをされたら不幸と思いますか。おそらく、ほぼ全員の方が「当たり前だ」と言うでしょうね。

しかし、こう考えたらどうでしょう。出世したために会社に縛られてしまった。責任も重くなり、精神的に耐えらないと思ったら?不幸ですね。

逆に、リストラされても、心のスイッチを切り替えて「これでオレの人生、自由になる。新たな挑戦だ」と思ったら? 幸せですね。

ある日突然、ガンを告知されたとします。余命数ヶ月と言われました。奇跡的に助かったとしたらどうでしょう。

会社で嫌な仕事ばかりやらされ、上司にも恵まれず、自分は不幸だと思っていたとしても、そんなこと、もう、どうでもいいと思えるんじゃないですか?

それどころか、何て幸せなんだろうと感じるはずです。

今までは、「上司に怒られてばかりで自分はダメな人間だなあ、不幸だなあ」と思っていたとしても、「自分のために言ってくれている」と、ありがたいとさえ思うかもしれません。

余命数ヵ月でありながら心穏やかに過ごせる人もいれば、地位や名誉や財産の点で人がうらやむほど恵まれていても、苦しみもがいている人もたくさんいます。

事実とは関係なく、幸せと思える心があれば幸せ、不幸せと思えば不幸せなのです。

では、事態が悪化した場合の心の持ち方はどうしたらよいかというと、まず起こり得る最悪の場合を想定して、それをいったん受け入れてしまうことです。

要は、心の持ち方次第です。幸・不幸は、外にあるのではなく、自分の内側にあるのです。最悪が起こるケースは、滅多にありません。

だから、最悪を受け入れた後は、よい結果しか出てきません。全部が幸せになってしまうのです。