1168.全く新しいやり方とは

真我日記

佐藤康行の言葉をお伝えします。「大胆に今までのやり方をリセットし、全く新しいやり方へ」

についてです。

例えば、

今、会社を立て直すのも外国人が

やっていたりしますが、

あれも「捨てる哲学」の発想なのです。

しかし、

日本人だって方向性が変われば、

全体が変わっていくのは、

むしろ早く、そして強力です。

それは、

歴史を見てみればわかります。

日本は、

一度焼け野原になって、

戦争に対する自信が崩れ、

「捨てる哲学」が出来たのです。

そして国を捨ててしまいました。

無条件降伏をした、

と言うことは、

全部捨てた、

ということなのです。

そして、

日本は分割して、

アメリカとイギリスとソ連と中国の

四ヶ国に取られるところ

だったのです。

今までの日本ではなくなりました。

つまり、

無条件降伏して、

一回カルマが全部消えたのです。

だから、

日本はコレだけ経済発展したのです。

結論的に

「捨てる哲学」を

嫌でもやらされたのです。

日本が戦争に負けて

焼け野原になっていなければ、

コレだけ経済発展していない

はずなのです。

意外と、

地震や天災などにあっているところは

発展している可能性があります。

私の事務所がある新宿区は

ほとんど野原でした。

昔は隣の四谷のほうが

発展した町でした。

しかし、

今は圧倒的に新宿が発展しています。

元々無いから発展したのです。

あるところは発展しません。

会社も、

外部から来て家賃払って

テナントに入っているところが

伸びているのです。

自分の土地を持って

先祖代々受け継いできたところは

以外に伸びていなかったりするのです。

家賃も要らないはずなのに。

それは「守りの発想」だからです。

「捨てる発想」ではない。

守りの発想は

池のように澱んでいるのです。

それに対して

捨てる発想は川のようです。

今こそ、

誰かに捨てさせられるんじゃなくて、

「自ら捨てていく」発想が必要なのです。

例えば

商売でも自らぱっとやり方を変えるとか

ぱっと捨てるとか、

なにかぱっぱっぱっとやって

いかなければ今の時代は苦しいですよ、

厳しいですよ、

と言うことなのです。

では、何が「守る発想」を

作っているのでしょうか?

深いところから言えば、

生命の保存から来ているのです。

いろんな動物が、

敵から身を守るとか、

食料を確保するとか、

といった生命保存。

その本能がずうっと表面化して、

しまいにはお金がコレだけないと

やっていけない、とか、

コレだけモノが無くてはいけないとか、

コレだけ仲間がいなくては不安だとか、

知らないうちにそう思い込んで

しまっているのです。

別にそんなもの無くても、

どおって事無いのです。

つまり、

守ろうという気持ちが強いときに、

その守りが、恐怖が

生まれます。

その恐怖が体をおかしくしていったり、

恐怖と言う想念が

実現していったのです。

だから、

執着することは

守ることではありません。

むしろ、

本当の究極の生命保存の「守る」

ということを成就させるには、

一般で言う「守る発想」ではなく、

「捨てる哲学」のほうが、

結果的に自分を守れるのです。

なぜなら、

最初から何も守っていないのだから。

守るものが無いことは

非常に強いのです。

恐怖感がないからです。

心配が無い悩みが無い。

悩みが無いから、

楽々と生きられる。

でも、

守ろうとするから、

不安心配恐怖があるから、

その心がむしろ自分の命を

縮めている人が多いのです。