【かぶせる=補う行為】
「かぶせ」には、「言葉によるもの」「思いによるもの」「愛に基づくもの」があるといわれます。
それらは、一体どういうものでしょうか?
まず、言葉によるかぶせは、前回も書いたように、
「あなたは、こうだから、このようにしたほうがいい」
「そういう場合は、こうしなさい」
「だから、そういうときは、こうすればいいのよ」
「こうなりなさい」
「こうすべきよ」
などなど...です。
「思いによるもの」とは、心の中で思うことです。
「こうあってほしい」
「こうなればもっといいのに」
など
言葉に出さなくても、思うだけでかぶせることになってしまうという事。
「思い」は通じると言いますが、思うだけで伝わる部分があります。
「愛に基づくもの」とは、愛しているがゆえに、かぶせてしまう部分です。
これはもっともなことですので、抵抗が出来ないということがポイントになります。
いづれの場合も、「三日月」に見てしまい、補おうとすることが原因となっています。
しかし、そうは言っても、
「そのように見えてしまう」から仕方がない....
「満月にはとても見えない....」
という声が上がりそうです。
どうすれば...?
佐藤康行は「大前提」ということを言われます。
満月に見えないから、満月という大前提で、行うといいます。
三日月に見えたとしても、三日月という月はありませんね。
月は丸いのです。
つまり満月なのです。
いついかなるときも、丸いのです。
光の具合によって、三日月に見えるわけです。
つまり、私たちの目に三日月にみえるだけで、本当は満月ですから、最初から満月として扱えば、やがて時間とともに満月が現れてきます。
では、具体的には、どのような対応をするのでしょうか?
続きはまた明日にします。