1136.かぶせるとは

真我日記

【かぶせる=補う行為】

「かぶせ」には、「言葉によるもの」「思いによるもの」「愛に基づくもの」があるといわれます。

それらは、一体どういうものでしょうか?

まず、言葉によるかぶせは、前回も書いたように、

「あなたは、こうだから、このようにしたほうがいい」

「そういう場合は、こうしなさい」

「だから、そういうときは、こうすればいいのよ」

「こうなりなさい」

「こうすべきよ」

などなど...です。

「思いによるもの」とは、心の中で思うことです。

「こうあってほしい」

「こうなればもっといいのに」

など

言葉に出さなくても、思うだけでかぶせることになってしまうという事。

「思い」は通じると言いますが、思うだけで伝わる部分があります。

「愛に基づくもの」とは、愛しているがゆえに、かぶせてしまう部分です。

これはもっともなことですので、抵抗が出来ないということがポイントになります。

いづれの場合も、「三日月」に見てしまい、補おうとすることが原因となっています。

しかし、そうは言っても、

「そのように見えてしまう」から仕方がない....

「満月にはとても見えない....」

という声が上がりそうです。

どうすれば...?

佐藤康行は「大前提」ということを言われます。

満月に見えないから、満月という大前提で、行うといいます。

三日月に見えたとしても、三日月という月はありませんね。

月は丸いのです。

つまり満月なのです。

いついかなるときも、丸いのです。

光の具合によって、三日月に見えるわけです。

つまり、私たちの目に三日月にみえるだけで、本当は満月ですから、最初から満月として扱えば、やがて時間とともに満月が現れてきます。

では、具体的には、どのような対応をするのでしょうか?

続きはまた明日にします。