1111.相手は先生、自分は生徒

真我日記

佐藤康行の言葉をお伝えします。

相手の思ってる事を出したものを綺麗な包装用紙に包んで、綺麗なリボンを付けてお返ししてあげるんです。

自分の物を自分に返してくれる訳、相手はこういう事を言ったんですねって言ったら「素晴らしいですね」って言う。

「そこまで真剣になられるっていうのは」っていう風に言ってぱっと言葉が出なかったら「なんか気になったんです」とかでもいい訳です。

「なんか凄く仲がいいという風に感じたんですけど」でもいい訳。

なんかそんな気になってきたんですよ、きっとあなたはもの凄く興味もたれると思いますよ、その人に。

何を感じたんだろうって。

逆をやるんです.

逆って言うのは自分がカウンセリングして貰うような気持ちでやるんです。

相談するとかね「僕はこういう事で悩んでるんですけどどうでしょうか」って相談するんです。

そうしたら向こうがこうじゃないかって言い出したらもうしめたもんです。

相手が問題点を思って言ってくれたらもうしめたもんです。

向こうは真我カウンセリング受けてないんですから何言ってもいいんですよ。

いいですか。

全然この法則と違う事いう可能性がある訳、それは全然いいんです。

分からないから、その為に皆さん一生懸命やっているんですから真我を追及してきたんですから、向こうはどんな態度でもいいんです。

それを修正するような事は一切やらないでとにかく自分がカウンセリング受ける位なつもりで逆さまになるんです。

向こうを先生にしてしまうんです。

もうまず間違いないどんな事を言っても相手が何か言ってる事よく分からなくてもはぁーてこうやってやればいいんです。

絶対何か本人はどんなつまらないこっちから聞いてもつまらない事でも本人は大事な事なんです。

こんな小さな事でもこういう大きく受け取るんです。

相手の大事なアドバイスは、いやー勇気ずいたは元気ずいたわっていう風に喜ぶんです。

人間はね、自分が喜ぶのと喜ばれるのとどっちが嬉しいですか。

皆さん自分が喜ぶ方がうれしいの、人が喜ぶ方が嬉しいの、そう思おうとしてるんじゃない?

本当はそうなんですよ、本当はだいたいそうなんです。

男女でもね相手のエクスタシ―いいか自分のエクスタシ―がいいって聞いたらだいたい相手のがいいって言ってる人の方が多いです。

そういう人間には人に喜んで貰える方がいいっていう本能があるんです。

そこをやる。

このYSカウンセリングはまさにそれをやる事なんです。

人を救っているようで実は自分が救われているんです。

そういう事です。

このやっている事は本物で本番しかやりたくないんです。

本当は。

架空の話なんてしたくない。

本当に今目の前に今でも死にそうな人が来るともう俄然張りきるんです私。

本番でないと架空の話しなんてしても意味ないです。

先程の離婚が迫ってきたっていう話本物の話だから、効果が直ぐ出る訳です。

お前の事が嫌い、いいえ私はあなたの事が大好きだって嫌いだ好きだってそこで押し通す、そうしたら絶対好きが勝ちますから。

相手に振り回されないでその真我だけを見ていく。

相手は真我であり愛の塊だから、それ以外の事は見ないでその途中をみない。

何を言ったかにを言ったそんなものは見ない。

真我しか見ない。

そう真我だけ。

それを相手は真我って言ったって分からないから、それを別な言葉で「愛されていんですね」とか「愛しているんですね」とかね。

たとえば、亡くなっている方だったら「今も見守ってくれているんですね、愛されているんですね」とかね。

「愛しているんですね」とかね。