1002.究極の教育とは

真我日記

佐藤康行の言葉をお伝えします。

「これからの意識の時代に

ふさわしい究極の教育のあり方とは?」

についてです。

教育においてはじめるべきことは、

自分とは一体何なのかを、

真摯に求めることです。

自分が何者かがつかめれば、

競争のための競争は

無意味になってくるでしょう。

たとえ成績がビリであろうと、

そういう子にこそ埋もれた個性、

素晴らしい感性、

その子ならではの生きる意味、

使命があるのです。

個性とは持ち味です。

人それぞれの持ち味を

最大限生かす教育こそ、

これからの意識の時代に

ふさわしい究極の教育のあり方です。

そのためには、

先生も子供たちに負けずに

感性を豊かにしないといけません。

人間としての痛みや歓び、悲しみ、

感動する心を豊かに育むことが

求められます。

私は自分のやっていることと、

いわゆる宗教を明確に分けています。

そして、神を教えることに

真剣に取り組んでいます。

なぜなら、

人間という存在はこの大宇宙、

いわば神という存在に

生かされているからです。

宗教を超えたところに、

神は厳然として存在しています。

したがって、

人間存在の根幹の部分を教えるのに、

宗教は関係ないのです。

地球は誰のものでしょうか。

それはアメリカのものでも、

国連のものでも、

どこの国のものでもありません。

人類のものという考えでさえ、

まだまだ不遜といわれるくらいです。

答えは、宇宙という次元に立たないと

見えてこないものです。

意識の時代とは、

人間の浅い頭脳で考える

という限界を悟り、

宇宙の根源に目覚めて、

人類意識の次元上昇に

向かうことでもあるのです。

世の中を短期的に変えるには、

政治家の力が必要です。

世の中を中期的に変えるには、

教育家の力が必要です。

教育家というと何やら

難しい存在のように聞こえますが、

教育のあり方といってもいいと思います。

教育のあり方こそが

人間を変えていくのです。

さらに根源的に変える力は、

宗教によるものです。

といっても、私がここでいう宗教とは、

俗世的な既成の宗教団体を

さすのでないことは、

いうまでもありません。

ここでいう宗教とは、

いままでの狭い宗教の概念を超えた

「命を生かすこと」であり、

「宇宙次元の意識に目覚め、

宇宙の中で生かされている

自分の存在に目覚める」

ということです。

それは、何度もくり返しますが、

本当の自分である真我に目覚める

ということです。