佐藤康行の言葉をお伝えします。
「ソクラテスの「無知を知る」ことの本質を考える」
についてです。
ある人から
「佐藤さんのやっていることは、
すでにソクラテスがやっていますよ」
と、言われたことがあります。
ソクラテスのやったことは
”産婆術“ともいわれ、
魂の根源の大切さや、
人の幸せ、善いものとは何か、
勇気とは何かについて、
対話の相手と討論しながら、
本質的な理解を相手に促すという意味で、
”産婆術“とか”産婆法“といわれています。
ソクラテスの言いたかったことは、
人間は究極の根源については
何も知らないということ、
いわば「無知を知る」、
「無知の知」に目覚めよ
ということにあります。
これに対して私がやっていることは、
究極の根源は「宇宙意識」「神の意識」
に目ざめることで、
それは誰でもできるというところに
根本をおいています。
ソクラテスの「無知を知る」のではなく、
「自分は宇宙の一部であり、
また神そのものでもある」
ということに気づくことこそ、
究極の人間としての存在意識であると、
私は確信しているのです。
私は、そこがソクラテスとは
断然違うと思っています。
ただ、「産婆術」という
意味合いからいけば、
私のやっている「真我開発講座」は、
究極の自分とは何か、
つまり本当の自分とは何かを悟るための
「産婆役」といえないこともありません。
そのことを、
私は「産婆役」というよりも、
「神の操り人形」といっています。
神が私に、
人々を神に目覚めさせるために
操り人形としての役割を
あたえてくれている。
私は、そう思っているのです。
よくある宗教は、
神を当人の背中に掲げて、
神の方針や意向を具体的な啓示や
教えとして当人が受けとり、
それを当人自らの教えとして説くやり方です。
いわゆる教祖といわれるような
存在がそれです。
そうして独自の教義によって、
人々を迷いや悩みから救い出すとか、
現世利益をうるためのさまざまな教えを
信者たちに伝えるべく、
組織化して、
その団体の勢力や影響力の拡大を
はかろうとする活動です。
わたしのやり方は、そういったものと
正反対のやり方をしています。
なぜそうするかといえば、
宗教がはたしてきた狭い役割りには、
限界があるからです。
人間にとって真の宗教とは、
宇宙の根源に各自が気づくことであり、
宇宙はひとつ、すべてはひとつという
宇宙の法則に目覚めればいいだけのこと
だからです。